坪内祐三さん享年61 “自らを掘り下げて”逝く

国内 社会

  • ブックマーク

Advertisement

 自宅の界隈にはキツネが出没し、住宅地で焚き火をしてもめったに怒られることはない――。坪内祐三さんが「玉電松原物語」(「小説新潮」に連載中)で描く50年前の東京・世田谷は、のんびりしていて、どこか謎めいた街だった。

「自分が育った土地の記憶を残しておきたいと連載を始めたのですが、書けば書くほど当時のことが蘇ってくると話していました」(担当編集者)

 次はどんなシーンを描こうかと思案しながら年末年始を過ごしていたのだろうか。その坪内さんが亡くなったのは今月13日のこと。自宅の部屋で倒れているところを妻で文芸ジャーナリストの佐久間文子さんが発見、救急車で搬送されたが、すでに意識は朦朧としていたという。急性の心不全だった。

 父親は元日経連専務理事という家庭で東京・渋谷の生まれ。だが坪内さんが後にこだわったのは、幼少時に引っ越した世田谷だった。何ごとも掘り下げずにおけない性分は、民俗学者・柳田国男を遠縁に持つ血なのかもしれない。

 早稲田大学の第一文学部(当時)に入ると同人誌「マイルストーン」に参加する。同誌からは、坪内さんのほか何人もの作家が巣立った。卒業後、雑誌「東京人」の編集者を経て評論家としてデビュー、『ストリートワイズ』(晶文社)を上梓。また、夏目漱石、南方熊楠らとその時代をテーマにした『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲(つむじまが)り』(マガジンハウス)で、講談社エッセイ賞を受賞している。

 2003年には福田和也氏、柳美里氏、リリー・フランキー氏らと“超世代”と銘打った文芸マガジン「en-taxi」を創刊し、執筆を超えた活動でも注目を浴びた。

「ここ数年は相撲に熱心で、国技館に行くと早い取組から始まって、結びの一番まで観戦するのです。それもあって、序ノ口クラスの無名力士の取り口まで詳しく解説できるほどでした。他にも、相撲茶屋の最新情報にもなぜか詳しかったですね」(同)

 倒れたのは初場所を観戦に行く当日だった。

「マイルストーン」誌の先輩でノンフィクション作家の一志治夫氏は、40年以上の付き合いだ。

「坪内さんとは、大晦日にも飲んだばかりでした。『薔薇の名前』で知られるウンベルト・エーコの話題で盛り上がったのですが、彼の読書量に改めて感心したものです」

 週刊誌や月刊誌の連載を抱えながらも、書きたいテーマはまだ、たくさんあった。

「え、もう逝ってしまうの?」

 坪内さんを知る人はみな口を揃える。他ならぬ旅立ったその人が一番そう思っているに違いない。

週刊新潮 2020年1月23日号掲載

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。