バルサ「安部裕葵」とFC東京「岡崎慎」は浮間小の同級生 苦労人とエリートが高3で再会するまで

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生まれも育ちも都内北区

 昨年12月28日に開催されたU-22日本対U-22ジャマイカ戦のテレビ映像を見て気付いたことがあった。試合前のこと、中継した日本テレビのカメラはFCバルセロナBに移籍した安部裕葵(20)を追っていた。

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 ピッチに入場する直前、安部はチームメイトとハイタッチをしつつ、列の後方で待機していた岡崎慎(21)[清水エスパルス]とハグをした。

 岡崎は1月3日にFC東京から期限付きで清水エスパルスへ移籍することが発表されたが、そもそもはFC東京の下部組織育ちだ。

 FC東京U-15深川からFC東京U-18を経て、2016年に2種登録(高校年代)選手としてトップチーム登録を果たし、高校3年の時に開幕戦でJ3リーグにデビューした。

 同年には夏の日本クラブユース選手権で優勝を飾るなど、Jクラブ育ちのサラブレッドとして将来が嘱望されている。

 一方の安部は広島の瀬戸内高校出身で、16年に広島で開催されたインターハイでは3ゴールをあげるなど活躍。準々決勝で優勝した市立船橋高校に敗れたものの、この試合でも1ゴールを決め、唯一市立船橋高校からゴールを奪った選手として大会最優秀選手に選ばれた。

 その活躍を見た鹿島のスカウトは、ベスト8で敗退したものの、すかさず安部を獲得する。元々は市立船橋高校の選手をスカウトするために観戦に訪れたそうだが、安部のプレーを見て方針を転換したという。ここらあたり、鹿島伝統のスカウト力と言わざるを得ない。

 そんな安部と岡崎だが、2人には2人だけの絆がある。それというのも、2人は小学校時代のクラスメートだったからだ。

 2人はともに生まれも育ちも東京都の北区出身で、区立浮間小学校では3年と4年の時にクラスメートだった。

 出席番号も安部は「あ」、岡崎は「お」と近かったものの、当時の安部は背が低く、朝礼などでは一番前で、両手を腰に当てる役割。一方の岡崎は当時から背が高く一番後ろだったという。

 それでも「仲は良かったんで、休みの日とかは一緒にボールを蹴っていた」と岡崎は振り返る。

 ただ、岡崎は北区のコアラFC、安部は同じ北区の城北アスカFCと、所属する少年団は違った。

 転機となったのは小学6年の時だ。岡崎が都大会に出場すると、プレーを見た当時FC東京のスカウトだった北慎氏(43)がFC東京U-15へ勧誘したのだ。

 一方の安部はというと、北区のトレセン止まりで、東京都のトレセンに入ることはできなかった。中学時代は街クラブの帝京FCジュニアユースとS.T.FOOTBALL CLUBでプレーを続けた。

好対照な高校時代

 岡崎は、前述したようにFC東京U-15深川、FC東京U-18と順調にステップアップし、高校3年の16年にはトップ登録も果たし、J3リーグのデビューも飾った。

 だが安部裕葵に、Jリーグの下部組織からのオファーはなかった。そのため、ある“決断”を下す。それを岡崎は、次のように証言する。

「裕葵は『高校のインターハイに賭けたかった』と言っていました。インターハイが広島で開催されるというのは分かっていて、地元の広島皆実高や瀬戸内高に進むか、県外でも青森山田のような強い高校を選ぶか悩んだらしいんです。そして『地元高校のほうが注目度は高い。インターハイに3年連続で出ていた瀬戸内で頑張ろう』と決めたそうです」

 安部は高校サッカー経由でプロ入りを目指すため、親元を離れる決意をした。その結果も岡崎に振り返ってもらう。

「自分がプロになって思うんですけど、上手い下手とか以上に、タイミングというか、運を持っているかどうかも大きい。たまたまインターハイに出られた時の準々決勝の相手が無失点だった市立船橋で、裕葵が1点を取った。結局、市船が優勝しましたけど、市船から点を取ったのが裕葵だけだったというのは凄い」

 岡崎は「裕葵がインターハイに出られていなかったら、プロになれたかどうか分からないと思います」と指摘する。それだけ市立船橋から獲った1点は大きかった。

 安部裕葵は人並み外れた幸運でチャンスを掴んだ。しかしながら、持ち前の実力を遺憾なく発揮できたからこそ、Jリーガーとなる道が開けたのだ。運と実力を共に“持っている”ということなのだろう。

 浮間小学校を卒業後、岡崎と安部が再会したのは、2人が高校3年生の時だった。2016年8月、岡崎は日本クラブユース選手権(U-18)で優勝したが、たまたま夏休みで里帰りしていた安部が岡崎を応援しようと、決勝戦を観戦するため味の素フィールド西が丘を訪れていた。

 それから半年後、Jリーグの新人研修会で2人は“再々会”を果たす。互いにプロ1年生。「おー、びっくりだね」と言い合ったという。岡崎は「まさか本当に裕葵と会えるとは」と感慨深かったようだ。

 あれから4年が過ぎ、岡崎はU-23日本代表として、タイで開催されるU-23アジア選手権に挑む。東京五輪のメンバーに残るためのサバイバル戦でもある。一方の安部はバルセロナが出場を認めなかったため、タイで岡崎と同じピッチに立つことはできなかった。

 小学校時代の幼なじみが同じピッチに立ち、チームメイトとして東京五輪で世界を相手に戦うことができるのか。これはこれで、楽しみにしたいストーリーでもある。

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