八王子からUターン移住した「パン屋店主」が経験した村八分 最後の賭けで成功した顛末

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噂が流されたら最後

 富岡さんは「いじめ」の具体的な内容について何度も訊ねたのだが、詳細は教えてもらえなかった。「おそらく“嫌いだった”という程度のものだったのでしょう」と富岡さんは振り返って苦笑する。

「ただ、それだけの話でも、生活のあらゆる局面で決定的に意味を持ち、あらゆることに影響するのが田舎暮らしです」と、富岡さんは指摘する。

 周囲で電気工事店はそこしかない。富岡さんは困った。離れた都市部から呼べば、費用は高くつく。これも田舎暮らしの最初の関門と心に決め、その日から電気工事店に三拝九拝し始めた。しかし結局、埒があかなかったという。

 富岡さんは集落から離れた電気店に駆け込み、何とか工事は終わった。しかし、そこからがまた大変だった。

「まずは表向き親しくさせてもらっていたご近所さんをはじめ、誰も店に買いに来てくれる者がいなくて……。『今度、買いに行くよ』なんて最初は言ってくれていた人も、道ばたで遭っても相手にしてくれなくなって……」

 原因は、集落で流されていたこんな話だった。

「富岡のところは、××さんに電気工事を頼まずに、わざわざこの辺りのもんでない電気屋に工事をさせたらしい」

 集落は経済活動であっても、一体化が求められる。皆で苦楽を共有するべきという観念が強い。地元の電気工事店に頼まなかったことは、集落全体に対する背信行為とでも受け取られたのだろう。

「そもそも私は断られてしまったほうで、『おまえのところの工事などできるか』と拒否したのは向こうです。別の電気屋の車が私の家の前に駐まっていたため、どうやら周辺住民が電気工事店の主に『どうしたのか』と訊ねたみたいなんです。恐らく自分が断ったことは黙ったまま、あることないことを言ったのでしょう」

 地方では、噂は流れたら最後だ。おまけに、噂の真偽は誰も確認しようとはしない。

「言われたらそれまでよ、ですね」と富岡さんは笑うが、当てにしていた地元客は1人も来店しない。開店当初から苦しい毎日が続いた。

「家内が脱サラする際に支払われた退職金も底をつくし、最後の賭けで、周囲の都市部や東京の観光誌に広告を出してみたんです。地元のパン屋さんを目指していたんですけど、近所の人は誰も来ないので仕方なく、観光客需要しかないと思ったんです」(富岡さん)

 だが、それが当たった。天然酵母と天然水で焼いたパン、地元のルバーブを使ったジャム、地元野菜の惣菜など、「都会のセンスを持つ天然パン屋」は人気を呼び、インターネットでの販売需要に加え、観光シーズンには開店直後から行列ができるまでになった。

 すると変化が起きた。

「東京や名古屋の人たちが買いに来てくれることが伝わったら、1人、また1人って、徐々に地元の人も、ようやく買いにきてくれるようになりました」(富岡さん)

「最初からこれでは、やっていけない」と人間関係に行き詰まってノイローゼ気味だった富岡さんの奥さんも、徐々に活力を取り戻した。

「今、うちの店に来ないのは地元では、あの電気屋のオヤジさんだけです。でもね、ようやく打ち解けてきて多少なりとも仲良くなった地元の人が囁くには、実は似たような話はたくさんあるって。『3代前まで遡って、恨み辛みばかりで人間関係や勢力地図が出来上がっているから気をつけろ』とまで言われました」

 富岡さんは苦笑する。

「Uターン移住者はやっぱり、『地縁もあってIターンより多少は移住しやすいかな』、『受け入れられやすいかな』って思うじゃないですか。私自身がそうでした。でも、3代前どころか何代も前に遡ってのしがらみでガチガチの場所だなんて、誰も教えてくれないですよ。そんなの、移住する前に知りようがないですからね」

 田舎暮らしとは、こうした見えない恨み辛みと禍根の綾に飛び込む行為でもあるのだ。

取材・文/清泉亮(せいせん・とおる)
移住アドバイザー。著書に『誰も教えてくれない田舎暮らしの教科書』(東洋経済新報社)

週刊新潮WEB取材班編集

2019年12月27日掲載

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