石川遼、劇的Vのウラに名物パパの「アメとムチ」

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“独り立ち”

「キャディーは彼の知人ではあるけれども、まるでゴルフ経験がない若い男性になりました。これまではキャディーから情報をもらってばかりだった石川選手も、自分で考えざるを得なくなった。また、元広告代理店社員で長年付き添ってきたマネージャーも大会に帯同することはなくなり、移動の手配も自分でせねばならず、結果的に“独り立ち”を促されたのです」(同)

 可愛い子には旅をさせよ、を地でいく指導法。すると功を奏したのか、7月の日本プロ選手権で今季初勝利を収める。

 ジャーナリストが続ける。

「さらに次の大会も勝ち、自身初の2大会連続優勝を果たしました。そこまでは順調だったのですが、秋口に入ると、今度はドライバーショットが曲がるようになったのです」

 11月の大会ではあまりのドライバーの不振ぶりに、14本まで持てるクラブからドライバーを抜き、13本でラウンドするまでに。悩みはそこまで深かったのだと、ツアー関係者が後を受ける。

「そんな中、このJTカップは何としても勝ちたかった。そこで、以前からタッグを組んでいる佐藤賢和キャディーを呼び寄せたのです。11月くらいからお願いしていたようで、当然、お父さんの意向もあったと思います」

 1980年生まれの佐藤キャディーと石川選手は15年からコンビを組み、アメリカにも帯同していた。その佐藤キャディーの助言もあり、大会直前にドライバーショットが改善したという。つまり、パパである勝美氏の“アメとムチ”が好結果を生みだしたとみられているのだ。

 かつてはマスコミに対する高圧的な接し方や石川選手への過度な密着ぶりも指摘されたが、

「最近は所有する福島のゴルフ場の経営もせねばならず、遼くんへのアドバイスはピンポイントにとどまるようです」(同)

 大会後には、

「来年はアメリカを目指すゴルフを」

 と記者に漏らした勝美氏。

 2年後には三十路を迎える遼クンだけど、むしろ“父離れ”しないことが飛躍の秘訣だったりして。

週刊新潮 2019年12月19日号掲載

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