「俺の話は長い」を観て感じた、「第三の大人」の存在が子どもの救いになる可能性

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 子供はいないし、子育てとも生涯無縁だが、最近「第三の大人」について考えることがある。親でも教師でもない、第三の大人の存在が子供の救いになる可能性はないだろうか。とかく現代は親や教師が疲弊しきっているようだから。でも、鬼畜や変態も多く、第三者との接触は心底不安だしな。なんでこんなことを考えたかというと、第三の大人が実にいい働きをするドラマを観ているから。日テレの「俺の話は長い」である。

 主役は生田斗真。実家に寄生するニート31歳。ああ言えばこう言う。とにかく屁理屈をこね、働かない執念が尋常ではない。8050問題(80代の親が50代引きこもりの子とともに社会から孤立する)を見据えたテーマかと思いきや、生田は引きこもりではない。怠け者ではあるが、人たらしで生き延びるスキルもコミュニケーション能力もヒモになるポテンシャルも高い。器用だからこそ厄介な面も。

 そんなニートの息子を甘やかし、ちゃっかり利用もする母(原田美枝子)、生田を実家から追い出して働かせようと目論む姉(小池栄子)、小池の再婚相手で元ミュージシャン(で、元ヒモ)の安田顕、小池の娘で思春期真っ只中、食欲だけは素直な清原果耶(かや)。この一家が繰り広げるホームコメディだ。テンポよく長台詞で本音をぶつけ放題の家族の姿は、からっと明るくて軽妙。同じように長台詞が有名な「渡る世間は鬼ばかり」(TBS)と比べると、湿度と疲労感が格段に違う。

 難しいお年頃の清原を主軸に考えたとき、ニートの叔父という生田の存在はかなり大きい。気遣いと遠慮の塊である継父との関係に、戸惑いを覚えていた反抗期女子にとっては、さぞや心強いに違いない。第三者といっても親戚なので近しいわけだが、無責任で能天気な理解者が身近にいたら、少なくとも理由なき閉塞感や苛立ちは軽減されるはず。

 さらに、安田も劇中で実は重要な任務をこなした。清原が好意を寄せる同級生男子・水沢林太郎とうっかりLINE交換。水沢も清原と同様、両親の離婚・母の再婚を経験している。安田という第三者の存在が彼の心を癒すシーンがあった。親子だからこそ触れないことや避けることもある。その隙間を埋めるのが第三の大人。エリートで立派な人なんかいらなくて、ちょっと難あり、ちょっとダメな大人こそがその役割を担う。どこか落語っぽいんだよね。

 とはいえ、私の心は常に小池と共にある。家の中に怠け者がいたらホント困るし、イラっとする。そりゃ口うるさくもなるわな。さらには弟だけでなく、夫もまさかの無職になっちゃって。なんだか南の島のようになっている。南の島って、たいてい男は怠け者で楽観的、その分、女が働き者。日本も南の島化するのかな。

 嘘臭い家族愛を描くドラマではない。生田&小池の小競り合いと罵り合いと化かし合いが心地よいし、この家族はとにかく皆よく食べてよくしゃべる。食が原因で喧嘩もすれば、食を介して心通じ合うときもある。久々に手放しで笑える家族ドラマ。日テレグッジョブ。

吉田潮(よしだ・うしお)
テレビ評論家、ライター、イラストレーター。1972年生まれの千葉県人。編集プロダクション勤務を経て、2001年よりフリーランスに。2010年より「週刊新潮」にて「TV ふうーん録」の連載を開始(※連載中)。主要なテレビ番組はほぼすべて視聴している。

週刊新潮 2019年12月19日号掲載

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