追悼 梅宮辰夫さん、今年3月「週刊新潮」独占手記で綴った芸能界への遺言

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アンナはまだ2歳

 ちょうど「仁義なき戦い 頂上作戦」が封切られた年で、俳優としても脂が乗り切っていた。しかも、娘のアンナはまだ2歳。当初は両親だけに告知されたんだけど、実家に帰る度に、おふくろが「あなた、体だけは大事にするんだよ」って泣き出すから、すぐに勘づいたんです。

 やはり最初のがんは最もショックが大きくて、当時は後悔の念ばかりでしたよ。こんなことなら結婚するんじゃなかった、子供を作らなければよかった――。四六時中、そんなことばかりが頭を過(よぎ)るんだ。でも、僕は一度決心するとジタバタしない性格だからさ。がんという現実を受け入れてからは早かった。

 俳優という仕事柄、体にメスは入れたくない。代わりに他の治療法は何でもやってやろうと思いました。当時としては最先端の放射線治療に抗がん剤、丸山ワクチンも打ったし、「さるのこしかけ」を煎じて飲んだこともあります。ただ、結果的には医学の力でがんに打ち克つことができた。肺の白い影が消えた時は心の底からホッとしましたよ。

 とはいえ、うちは代々の「がん家系」。親父は5人兄弟ですが、兄弟全員が胃がんで亡くなっている。そのため、「再発」への不安は常にありましたが、それから何度もがんを経験したものの、「再発」はひとつもないんです。そのことは幸運と呼べるかもしれないね。

 友人や知人から「どうやってがんを克服したの?」と尋ねられることも少なくありません。

がんとの向き合い方

 僕の場合はまず、「がんを踏み潰してやる」といった気負いはなるべく持たない。信頼のおける医者の説明に耳を傾けて覚悟を決めたら、すべてを委ねる。「石にしがみついてでもがんを成敗するぞ」なんて意気込むと、治療の途中で疲れてしまうからね。

 もうひとつ、民間療法を勧める人もいるけど、僕は同意できません。気持ちは分かるんですよ。がんにはどうしても「死」のイメージがつきまとうし、いまの医療に限界があるのも事実。現代医学とは別の方法なら生き残れるんじゃないかと考えるんだろうね。

 でも、僕は全くそう思わない。最初のがんの時に色々と手を尽くしたけど、最も説得力があったのはやはり専門家の言葉だった。実際、医学のお蔭で僕は生き続けることができた。親父が医者だったことも影響していると思います。

 周囲が寄ってたかって励ましの言葉をかけるのも考えものです。患者は勇気を奮い立たせて病気と対峙しているから、過度な励ましをプレッシャーに感じることもあると思う。がん闘病では、患者本人が思い通りのペースで治療に臨むのが何よりも肝心です。そのことを周囲も理解してほしい。

 あと、これは僕の持論だけど、もしもの時にはそれが自分の「寿命」だと受け入れた方がいい。そう考えれば、冷静に物事を判断できるようになるし、むしろ治療に専念する気持ちが湧いてくるんです。

人気があれば俳優は生涯、現役

 確かに、がんと向き合っていると、否応なく自分の引き際について思いを巡らすようになります。

 昨年、僕が渋谷の自宅を売り払って真鶴に移り住んだ時、「引退」と騒ぎ立てる報道があったでしょう。本当のことを言えば、僕と女房の年寄り2人が暮らすには渋谷の自宅が広すぎただけなんです。女房から「管理費もバカにならないし、どっちか売ってちょうだい」と言われたので、渋谷の自宅を売って真鶴の別荘に引っ越した。それを「引退」と言われてもねぇ。

 そもそも、俳優の引退は本人が決めるものではないんですよ。世間から「もうアイツの顔は見たくない」と思われたらお払い箱。そうなったら、20代だろうと80代だろうと俳優業を引退しなければならない。

 反対に「まだまだ頑張ってくれよ!」という声がある限り、それに応え続けるのが俳優なんだ。

 だから、芸能記者やレポーターに「梅宮さん、引退されたんですか?」って尋ねられても困ってしまう。僕にしてみれば、「あなた方に追い掛けられなくなった時が“引退”ですよ」ということなんだ。

昭和の芸能界に戻したい

 一方で、僕がテレビに出なくなった理由はハッキリしています。単純にいまの芸能界が心底、面白くないからです。最近は顔つきも物腰も柔和な芸能人ばかりが幅を利かせていて腹が立つ。そんなに庶民的になってどうするの。昭和の時代のように、圧倒的な輝きやオーラを放つ俳優が見当たらない。一流の俳優には「どこで掘り起こしてきたんだ?」と思わせるくらいの圧倒的な存在感がないといけないんだ。

 商店街をブラついて、アンパンだか羊羹だかが有名な店に寄ったかと思えば、店主の能書きをひとくさり聞いて「美味しいですねぇ」なんておべんちゃらを言う。これは俳優の仕事じゃないですよ。芸能人は手の届かない存在でなければ価値がない。フルーツと同じで高級なものは桐箱に入れて鎮座していないと。ひと山幾らの奉仕品コーナーに置かれたら、どんなに美味しくても傷んでしまう。ダイヤの原石もバラエティ番組の「ひな壇」に並んだら擦り減って輝きを失うんだ。そうなったら、テレビ局の制作スタッフと同じで、番組を成立させるための「放送要員」に過ぎません。

 本音を言えば、僕も引退したいですよ。でも、このまま芸能界を去るのは癪なんです。俳優が俳優らしく生きられた昭和の芸能界に引き戻したい。俳優はCMに出演することじゃなく、芝居を見せるのが仕事。僕も俳優としての本分を全うしたい。無理かもしれないけど……、それこそが僕に与えられた最後の仕事だと考えています。そして、自分を鼓舞するためにこう言わせてください。「がんばれ! 梅辰サン!」。

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独占手記「6度目の『がん闘病』『人工透析』を初告白 『梅宮辰夫』芸能界への遺言」より

週刊新潮WEB取材班

2019年12月12日掲載

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