中村哲さんを悼む 宝塚・アフガニスタン友好協会代表が語る「犯人像」と「先生の思い出」

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自身もあやうく…

 治安が悪いアフガニスタンで、私自身もひやりとした経験があります。乗合タクシーに乗っていた時、前の席の男たちが、私を襲って金品を奪おうと相談していました。現地語はわからないと思っていたのでしょう。多少勉強していたので理解してしまい、生きた心地がしませんでしたが、運転手が諫(いさ)めてくれて事なきを得ました。

 今あの国は、戦闘やテロで軍人や警官など一家の大黒柱の男たちが次々と命を落として、未亡人だらけです。現地の親しい女性も「ケイコ、助けに来てよ」と連絡してきます。

 でも、あまりにも危険になり、私も2016年5月に行った後は入れません。ジャララバードは、イスラム国、タリバ-ン、政府軍が入り乱れて戦っています。首都カブールは、もっと危険です。アフガニスタン政府は外国人の入国を拒否。ジャララバードには日本大使館職員も入っていないはずです。

 今のガニ政権に対しては、「復興援助資金を独り占めしている」との不満も強いようです。米軍が去ってしまえば、そうした勢力が政府を倒して大混乱になるかもしれませんが、そのくらいの荒治療でもしないと、あの国は立ち直れないのかもしれません。そんな絶望感にすらとらわれています。

 中村哲先生とは昵懇(じっこん)だったと言える関係ではないのに、あまりのショックで動揺して寝られません。不条理な悲劇を知ってしまうなら長生きしなきゃよかったと思うほど辛い。尊敬していた先生のご逝去で、まず心配なのは、現地労働者の雇用維持です。巨費が投じられて、大きな土木工事をしていましたから。中村先生なしで灌漑事業を続けられるのかどうか。

 最近、アフガニスタンのことは、あまりニュースになりませんでした。痛ましい事件を機に、1人でも多くの日本人があの貧しい国のことを考えてほしい。それが先生の死を無駄にしないことだと思います。

粟野仁雄(あわの・まさお)
ジャーナリスト。1956年、兵庫県生まれ。大阪大学文学部を卒業。2001年まで共同通信記者。著書に「サハリンに残されて」「警察の犯罪」「検察に、殺される」「ルポ 原発難民」など。

週刊新潮WEB取材班編集

2019年12月9日掲載

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