追悼「白川勝彦」元自治大臣 創価学会と最後まで闘い、自公連立政権を認めなかった男

政治 2019年12月2日掲載

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 自治大臣をつとめた白川勝彦氏が11月18日、腎不全のため亡くなった。享年74。葬儀は22日、近親者によって密葬で執り行われた。同氏は、自公連立政権を容認せず、最後まで創価学会批判を貫いた闘士だった。

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 白川氏は新潟県十日町市出身。実家は祖父の代から続く絹織物業者だった。1969年に東京大学法学部を卒業。大学在任中に司法試験に合格し、弁護士に。大学時代は、日本共産党の下部団体である日本民主青年同盟の活動家でもあった。

 1979年の衆院選で自民党から出馬し、初当選を果たす。加藤紘一氏の宏池会で川崎二郎氏、谷垣禎一氏らと一緒に、加藤氏の側近として活動した。90年の衆院選で落選、93年の衆院選で返り咲いたが、自民党は1955年以来、初めて下野し、細川連立政権が発足した。

「自民党はものすごいショックを受けたわけですが、この時初めて、公明党の支持母体である創価学会の存在に脅威を感じるようになったのです。学会票で細川政権ができたということで、学会批判をする議員がいました。中でも、94年に亀井静香氏と一緒に『憲法20条を考える会』を発足させた白川氏は、政教分離問題という視点で激しい学会批判を行いました。宗教団体が政治に介入することは大きな問題であると追及したのです。白川氏の指摘は、創価学会の急所をついた形でした」

 と振り返るのは、ジャーナリストの乙骨正生氏である。憲法20条で「いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の権力を行使してはならない」と規定している。

 94年6月、自民党は社会党、さきがけと連立し、政権を奪還した。その年の12月には、小沢一郎氏や海部俊樹氏らが中心となって新進党を結党。同党は95年の参院選で、創価学会の全面支援を得て、比例代表区の得票数で1位になるなど、大躍進を果たした。そして96年の衆院選では、自民党と新進党が全面対決する中、白川氏は党総務局長(現・選対委員長)として自民党勝利に貢献し、6度目の当選を果たした。そして、自治大臣兼国家公安委員会委員長として初入閣した。

「96年の衆院選では、自民党は苦戦を強いられました。自民党内で公明党を敵に回すのは得策ではないという雰囲気が漂ったのです。選挙のたびに、学会票と闘わなければならないという不安が強まり、98年に橋本龍太郎総理から政権を引き継いだ小渕恵三氏らが中心となって公明党との関係修復を唱えました。そして99年10月、公明党が小渕政権に加わるという形で自公連立がスタートしたのです。これに猛反対したのが白川氏でした。宗教が政治に介入する、つまり学会票によって議員の当選が左右されることは、国民が議員を選ぶ議会制民主主義の根幹にかかわる大問題だと批判したのです」(同)

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