中曽根康弘元首相を偲ぶ 大韓航空機撃墜事件でソ連を追い詰めた「ジャパニーズ・テープ」

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親あいなるロン

 この危機の最中の9月9日、中曽根総理がレーガン大統領に送った親書の電文が手元にあるが、日本語の文面は「親あいなるロン」で始まっている。

「わが国の安全保障に深い係りのある自衛隊の交信テープの公開は、私にとつて重大な決断を要するものでありました。しかしながら、本事件の重大性、とりわけ国際民間航空の安全に関するちつじよの回復と維持、そしてソ連が人道上及び国際法上負つている義務を全うせしめることの強い必要性にかんがみ、同交信記録のテープを貴国と共同で提出し、国際世論の一層のかん起を図ることを決断した次第です」(原文ママ)

 そして米国政府も中曽根のジレンマは十分承知していたようだ。駐日大使館経由で送られたレーガンの返信は「親愛なるヤス」で始まり、「この悲劇の中で日本が果たしてくれた極めて貴重かつ効果的な役割について君に感謝したい」と結んでいた。

 自国の情報活動を犠牲にしてまでも傍受記録を渡してくれた日本への感謝が伝わるが、その間にもソ連によるプロパガンダ工作は続いていた。

 事件直後からソ連軍首脳は近くを米軍の電子偵察機RC-135が飛行していたと主張したが、今度は偵察衛星との関係を取り上げ始めた。大韓航空機はアラスカのアンカレッジを40分遅れて離陸したが、それは米偵察衛星フェレットDがサハリン上空を通過する時間に合わせるためだったという。また事件当時、千島上空にRC-135が、オホーツク海と日本海には対潜哨戒機P3Cが飛行して大規模な情報収集を行ったとし、これは長文の論文として9月20日付のソ連共産党機関紙プラウダに掲載された。

 だが米情報機関もただ指をくわえて見ていた訳ではない。このままではせっかく日本が提供してくれたテープの効果が半減してしまう。このためCIAはプラウダに論文が載ったのと同日、それに反論する報告書を作成している。「トップ・シークレット(極秘)」のスタンプが押された2枚の文書は、ソ連の言い分を“事実と虚構、半端な真実の寄せ集め”と片付けて真っ向から否定した。

 例えばP3Cが飛行していたのは事実だが現場から2000海里も離れており、またRC-135が活動したのは撃墜後6時間経ってからだったという。普通、米軍の偵察活動は極秘とされ、CIAがこうした報告を出すのは極めて異例で、そのせいか執筆者の名前も含めて文面の一部が黒塗りにされている。

 そして米ソが最も鎬(しのぎ)を削ったのはサハリン沖の海底に沈んだ大韓航空機の機体、特にブラックボックスの発見だった。ブラックボックスとは頑丈な金属製の容器に入れられた飛行記録計とボイスレコーダーで、高度や速度、方位などの飛行データを磁気テープに記録し、操縦室内の会話を録音する。それを回収して解析すれば撃墜時の様子や正規の飛行ルートを逸れた理由が分かるはずだった。

 9月下旬、ホワイトハウスのシチュエーション・ルーム(危機管理室)に出された機密報告を読むと、米軍が現場に派遣した艦船の位置、ブラックボックスが発する信号音探知の様子が詳細に分かる。その周囲ではソ連側も必死に機体を探しており、サハリン沖はまさに一触即発の緊張が漂っていた。

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