大阪小6少女誘拐 容疑者は「安倍晋太郎」金庫番の孫だった…父“自殺”のトラウマも

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 大阪市に住む小6少女が行方不明になった事件では、未成年者誘拐容疑で伊藤仁士(ひとし)容疑者(35)が逮捕された。もう一人、15歳の女子中学生もいたことで“少女連続監禁”となったこの事件、容疑者には、あるトラウマがあった。

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「仁士の祖父は五十男と言います。会社員です。確かに安倍晋太郎さんの秘書は10年ほどやっていました」

 こう証言するのは、仁士容疑者の父の弟、つまり叔父にあたる人物だ。

五十男氏のことは、安倍家と親交のある、元山口新聞東京支局長の濱岡博司氏も記憶しているという。晋太郎元外相の資金管理団体のひとつを仕切っていた人物だといい、

「最も集金力のあった晋和会の秘書代表が伊藤だった。ガッチリした体躯でね。金儲けが上手で金庫番と言って差し支えないでしょう。会社員?う~ん、もともと山口の農協トップの秘書を務めていて、頭角を現して晋太郎さんの秘書に収まったんです」(濱岡氏)

 仁士容疑者については、長く引きこもりだったと報じられている。大物政治家の金庫番を務めた祖父を持つ身の彼の人生の歯車は、いかにして狂ったのか。ひとつには、“父の死”の影響があったのかもしれない。

仁士容疑者は、30年ほど前に父親を亡くしている。先の叔父がいう。

「それまでは東京・新宿で暮らしていました。仁士が5歳くらいだったと思いますが、彼の父親が運転するクルマで事故を起こし、病院に運ばれる前に亡くなってしまった。そこから彼の母親は子供と栃木に移り住んだのです」

 その後、地元の小中学校に進んだのち、公立トップ高校に不合格。宇都宮短大付属高に進学するも、やがて引きこもり状態に。そして1年ほど前、祖母の介護のために母が家を出て、仁士容疑者は一人で暮らすことになる。監禁事件の舞台になった、あの2階建ての家である。

 事故で亡くなったという仁士容疑者の父。だが、先の濱岡氏の認識は、やや異なるようだ。

「当時、私立大学振興政策のため、自民党の代議士は各私大の担当を持っていました。晋太郎さんは71年にできた愛知医科大を受け持っており、その繋がりもあって、72年に秘書の息子が二人そこに入学します。そのうち一人が伊藤五十男の息子、(仁士容疑者の)父です。ただ、医師国家試験になかなか受からず、色々あって自殺されたと聞いています」

取材によって、仁士容疑者の父は85年卒だとわかった。亡くなったのはその3年後である。入学から卒業までの13年間をどう過ごしたのか……。

 ともあれ、父の“死”が仁士容疑者にもたらしたトラウマは如何ばかりだっただろう。11月28日発売の週刊新潮では、奇妙な共同生活を生んだ被害者の家庭環境にも迫る。

週刊新潮 2019年12月5日号掲載

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