ロシアがブレグジットで行った秘密工作:英首相は総選挙で報告書の公表を阻む インテリジェンス・ナウ()

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 下院が解散され、12月12日投票に向けて国家の将来を決める総選挙たけなわの英国。実は、欧州連合(EU)離脱(ブレグジット)問題をめぐる大騒動の陰で、ボリス・ジョンソン首相がある重大な報告書の公表を拒否していた。

 この報告書は、「外交官(を装った)カバー」の駐英ロシア大使館スパイや、ジョンソン首相の最側近でロシアとの関係が懸念されるドミニク・カミングズ上級顧問らに言及しているとみられる。公表されていたら、選挙に大きい影響を与えていただろう。

 下院情報安全保障委員会が情報機関の支援も得てまとめたその報告書。タイトルは、ずばり『ロシア』。3年前、小差の賛成多数でEU離脱派が勝利した国民投票の裏で行われていたロシアの工作が重大なテーマだ。

 同委はことし3月に調査を終了。防諜機関MI5や対外情報機関MI6、通信傍受やサイバー問題を担当する政府通信本部(GCHQ)など情報機関が約半年かけてチェック。公表しても問題なし、との結論を得て、10月17日に首相官邸に提出された。

 ドミニク・グリーブ委員長は、この種の報告書を「官邸は通常10日以内に公表する」と主張しているが、官邸側は「チェックに6週間を要する」として、公表を拒否した。

 労働党など野党はこれに対して、ジョンソン首相および与党保守党に不利な内容が盛り込まれているため選挙前に公表しないのだ、と批判している。

駐英ロシア大使館参事官らの役割

 同委の報告書は、各情報機関からの分析に加えて、2013年のミスユニバース・モスクワ大会の際のドナルド・トランプ大統領の不可解な行動を米民主党のためにレポートした元MI6ロシア部長クリストファー・スティール氏ら第三者の分析を基にまとめたといわれる。

 これまで、2016年のブレグジット国民投票の際のロシアの工作については、英国選挙委員会、英下院文化・メディア・スポーツ特別委員会の調査に加えて、米国の上院外交委員会スタッフ報告書も一部で触れている。しかし、全体像の詳細はなお未解明だ。

 このため、英下院情報安全保障委員会の報告書に、新事実が盛り込まれている可能性が注目されている。特に異常なのは、2012年ころから、ロシア・スパイらが与党保守党に浸透していった事実だ。

 この中で最初に目を引くのは、駐英ロシア大使館参事官を務めていたセルゲイ・ナロービン氏の役割。

 ナロービン氏の業績として挙げられるのは、2012年に在英ロシア大使館の施設で行われたパーティで、保守党内の親露派議員を中心とする「保守党ロシア友好協会(Conservative Friends of Russia)」を立ち上げたこと。これに英露の250人が出席、その中から4年後の英国民投票を闘うグループが形成されていった。

 この協会をベースにナロービン氏は活動を展開。2014年1月、ロンドン市役所で当時市長のジョンソン氏と一緒の写真をツイッターに投稿、ロシアについて「温かい言葉を語った良き友人」と紹介した。

 このグループから、ブレグジット支持を推進する「離脱投票(Vote Leave)」という組織のマシュー・エリオット元理事長や現首相顧問カミングズ氏らを輩出した。

 しかし、その後ナロービン氏はロシア対外情報機関SVRとの関係が取り沙汰されて、この協会は解散。ナロービン氏は2015年、約5年の駐在を終え、帰国。「強制退去処分」を受けた、とも一部で報道された。

 英紙『ガーディアン』によるロシアの独立系ニュースサイト『インサイダー』との合同取材で、ナロービン氏はモスクワ南西部のミチュリンスキー・プロスペクト27にアパートを所有していることが判明した。この地区はロシア情報機関の名前を取った「FSB(ロシア連邦保安局)ハウス」と呼ばれている。

 ナロービン氏の父はソ連国家保安委員会(KGB)工作員からFSBの将官を務めた。兄弟もFSBの要員と伝えられている。

 ナロービン氏の名前は、米国の「ロシア疑惑」を捜査した特別検察官の報告書にも記録されている。トランプ陣営の元外交顧問ジョージ・パパドプロス氏が「ロシア外務省職員」とするナロービン氏と接触したとされる。パパドプロス氏は、本欄2017年12月19日掲載の『「トランプ」がBREXITにつながった:暴かれたロシアの「スパイ大作戦」』にも登場する。

「首相のラスプーチン」奇妙なロシア滞在

 他方、影の外相(労働党)のエミリー・ソーンベリー氏はカミングズ氏のロシアとの関係を問題視、「機密情報の取り扱い資格」についても疑問を投げかけている。事実、カミングズ氏は、不可解な3年間のロシア滞在というナゾを抱えているのだ。

 彼はオックスフォード大学のエクセター・カレッジを卒業後、ロシアに渡航。1994~97年の3年間、ソ連崩壊後の混乱期にロシアのベンチャー企業で、さまざまなプロジェクトを手がけた。しかし、南部ロシアのサマラとウィーン間の航空路開設をめぐって「KGBと衝突し」仕事を辞めた、と伝えられる。

 しかし、その理由もいきさつも明らかにされていない。

 いずれにせよ、その後帰国して、1999年以降は英国の政治活動に関与。ユーロ圏加入反対運動や議員スタッフ、シンクタンク所長、教育相顧問などを経て、2015年から本格的にブレグジットに取り組み、「離脱」の投票結果をもたらした。

 首相上級顧問にはことし7月のジョンソン氏の首相就任とともに就いた。ソーンベリー議員が問題にするのは、「トップシークレット」級の機密文書を取り扱う立場の人間が、ロシア滞在の目的が不明で、ロシアの政治家やインテリジェンス関係者との関係も明らかにされていないことだ。

 しかし、ジョンソン首相の信頼は厚い。カミングズ氏は解散・総選挙に消極的だったジェレミー・コービン労働党党首に対して「怖がるな」と挑発して合意させたとも言われ、ロシアの怪僧グリゴリー・ラスプーチンにたとえられたりもするという。

資金もロシアから?

 ブレグジットの投票を成功させたもう1人の人物は、ナイジェル・ファラージ議員(現・離脱党党首)が率いた英国独立党の活動を資金面で支えたアロン・バンクス氏だ。

 英国選挙委員会は昨年秋、彼の資金源などについて、選挙資金規正法違反の有無を国家犯罪対策庁に捜査依頼した。

 バンクス氏はブレグジットの国民投票に際して、800万ポンド(約11億円)を寄付したと伝えられていたが、全額を彼自身が拠出したかどうかが問題になった。保険業界で財を成した彼は2015年秋から度々、アレクサンドル・ヤコベンコ駐英ロシア大使と会見したと言われる。

 英下院の別の委員会の調査では、ロシア側から金塊やダイアモンドの取引を持ちかけられたと指摘された。ただ、この問題もまだ最終的な結論は出ていないようだ。

 しかし、英国の喫緊の課題は、12月の総選挙をロシアの介入なく公正に行うことだ。ロシアがSNSを使ってフェイク情報を大量に流し、選挙結果を歪めないかと懸念されている。欧州全体で、こうした対策の不備が問題になっているのだ。

春名幹男
1946年京都市生れ。国際アナリスト、NPO法人インテリジェンス研究所理事。大阪外国語大学(現大阪大学)ドイツ語学科卒。共同通信社に入社し、大阪社会部、本社外信部、ニューヨーク支局、ワシントン支局を経て93年ワシントン支局長。2004年特別編集委員。07年退社。名古屋大学大学院教授、早稲田大学客員教授を歴任。95年ボーン・上田記念国際記者賞、04年日本記者クラブ賞受賞。著書に『核地政学入門』(日刊工業新聞社)、『ヒバクシャ・イン・USA』(岩波新書)、『スクリュー音が消えた』(新潮社)、『秘密のファイル』(新潮文庫)、『米中冷戦と日本』(PHP)、『仮面の日米同盟』(文春新書)などがある。

Foresight 2019年11月22日掲載

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