38年ぶり「ローマ法王」訪日「長崎・広島」との深い「縁」

国際

  • ブックマーク

Advertisement

 ローマ法王フランシスコ(82)が、11月23日から日本を訪問する。ローマ法王の訪日は、1981年のヨハネ・パウロ2世以来38年ぶり、2度目となる。3泊4日の訪日のハイライトは24日で、被爆地の長崎と広島を訪れ核兵器の廃絶を訴える。

若き神学生と原爆

 フランシスコが外交政策の柱に据えているのが、環境問題と並んで核兵器の廃絶だ。それだけに被爆地を訪問する意味は大きい。また、個人的な思いもあるはずだ。というのは、フランシスコと日本を初めてつないだのは、広島だった。若き日に、核兵器が引き起こした惨状を広島で実体験をした人から生々しく聞いたのだった。

 60年前の1959年にさかのぼる。当時、フランシスコは、母国アルゼンチンでイエズス会士と司祭を目指して勉強中だった。その若きホルヘ・ベルゴリオ(フランシスコの本名)ら神学生の前に、イエズス会の日本管区長だったペドロ・アルペ神父が現れた。

 アルペ神父は、スペイン出身で、1938年に日本に宣教に赴き、第2次世界大戦開戦後もとどまった。米軍が世界で初めて原爆を投下した時、広島市内で修練院長を務めていた。修道会に入る前は医学生であった神父は、その知識を生かして被爆者の治療にあたったのだった。

 アルペ神父は、ベルゴリオらに、原爆がもたらした地獄のような世界を語り、映像も見せた。合わせて、日本へキリスト教を伝えたフランシスコ・ザビエルや中国で宣教したマテオ・リッチなどイエズス会の先輩たちの東アジアでの活躍を話したという。若きベルゴリオは、この時、日本への宣教を志し、資格を満たした後にイエズス会の総長となっていたアルペ神父に願い出た。だが、肺の一部を切除していたことから健康に不安があるとして、この願いは却下されている。日本での宣教はかなわなかったものの、アルペ神父が語った言葉は深く心に残っているに違いない。

 2017年末のクリスマス・シーズンには、長崎で被爆し、死亡した弟を背負いながら火葬場で順番を待つ少年の姿をとらえた写真を、カードにして配布するよう指示を出した。2018年1月1日にメディアが報じて明らかになったが、このカードには、「幼い少年の悲しみはただ、血のにじんだ唇をかみしめるその身振りの中にのみ表現されている」という写真説明とともに、法王の署名と「戦争が生み出したもの」という言葉が加えられた。

一切の核保有を認めず

 それに先立つ2015年、国連総会で行った演説では、国連憲章の精神に反し核兵器をはじめとする大量破壊兵器の拡散傾向が続いているとして、世界は、「相互破壊、もしくはすべての人類の滅亡という脅しに根差した倫理と法則」に支配されていると糾弾。「核兵器を完全に排除する緊急な必要性」を訴えた。

 歴代法王は、核廃絶の必要性を訴えながらも、その抑止力には一定の理解を示してきたのに対して、フランシスコはさらに踏み込んで、一切の保有も認めないとしている。

 今回の訪問では、24日午前、長崎の爆心地公園で核兵器に関するメッセージを発表し、同日夕は広島に移動して平和記念公園で平和のための集いを開く。核廃絶を訴えてノーベル平和賞を受賞したバラク・オバマ前米大統領が政治の表舞台から去り、続くトランプ政権下で米国はイランとの核合意から離脱し、北朝鮮との非核化交渉も遅々として進まない。こうした厳しい現実を前に、フランシスコが影響力のあるメッセージを発することができるのだろうか。

アジアの重要性

「空飛ぶ聖座」と呼ばれたヨハネ・パウロ2世には及ばないものの、フランシスコは、イスラム教揺籃(ようらん)の地、アラビア半島でローマ法王として初めてミサを行うなど、外遊と多宗教対話に力を入れている。

 アジアでは、これまで韓国、スリランカ、フィリピン、ミャンマー、バングラデシュを訪問。今回はタイと日本を歴訪する。カトリック信者が国民の約80%を占めるフィリピンと、プロテスタントを含むキリスト教徒が約30%の韓国を除くと、これまで訪問したアジアの国々のカトリック信者は、宗教的少数派に過ぎない。それでも、法王に選ばれる以前のアルゼンチン時代から、周縁部における司牧の重要性を唱えてきたフランシスコにとって、中東で生まれヨーロッパで発展したカトリック教会においての周縁地域であるアジアも重要な地域であるのだろう。

 さらにカトリック教会が直面する問題も法王をアジアに向かわせる。

 米調査機関「ピュー・リサーチ・センター」によると、ヨーロッパのカトリック信者は、1910年には世界の全信者の65%を構成していたのが、2010年には24%へと大幅に割合を下げ、現在では、中南米・カリブ地域が信者の約40%を構成する最大勢力だ。フランシスコが中南米出身初の法王に選ばれた理由の1つである。

 ところが、その中南米では、プロテスタントに信者を奪われ、域内人口に占めるカトリック信者は、1910年には約90%を誇ったのが、今では70%前後へと減少しているのだ。これに対し、アジアは、同じく1910年には全世界のカトリック信者の5%に過ぎなかったのが、100年後の2010年には12%を構成と、着実に存在感を増している。しかも、域内の人口に占めるカトリック信者の割合も1%から3%へとわずかながら増している。

 フランシスコは、1949年の共産主義政府の誕生以来、外交関係のない中国に対し、大幅に譲歩する形で昨年、関係改善の暫定合意にこぎつけている。「弾圧に耐えながらバチカンの教えを守ってきた地下教会を見捨てるのか」と厳しい批判を受けながらもフランシスコが暫定合意に踏み切ったのは、アジアにおける勢力拡大に教会の将来があるとみているからだと言える。

 また、イエズス会士初のローマ法王であるだけに、ザビエルやリッチなど会の先人たちが活躍したアジアへの思い入れも強いのだろう。

一筋縄ではいかない難題

 カトリック教会の関係者によると、バチカンは、法王の訪日を機に日本で信者が増えることをも期待しているのだという。

 教会にとって日本は、不思議な国だ。プロテスタントを含むキリスト教徒は日本の人口の約1%に過ぎず、先進国で唯一、キリスト教が浸透していない。禁教、そして長崎で処刑された「26聖人」に代表される弾圧の歴史は、ヨーロッパなどキリスト教世界では広く知られるが、一方で、現在では信者以外の日本人もキリスト教文化を拒絶することなく、進んで受容している。

 信者ではないのに十字架をアクセサリーとして身に着け、キリスト教式の結婚式を挙げる人も多い。実は、カトリック教会が、信者ではないカップルに教会で結婚式を挙げることを許しているのは世界を見回しても日本だけだ。カトリック教会における結婚の意味を学んでもらい、これが入信につながることを期待しての特別措置だが、効果を上げているとは言えないようだ。

 さらに、約250年間にわたって司祭もいない状態で密かに信仰を守り続けた潜伏キリシタンの存在は、教会においては「奇跡」として語られる。キリスト教世界の“常識”では理解しがたい国なのだ。

 先に、フランシスコが日本への宣教を願い出たと述べた。これをもって親日と言う人がいるが、キリスト教会にとって日本における宣教は、そう簡単には効果を上げることができないだけにチャレンジングなこととされる。若さゆえにフランシスコは、一筋縄ではいかない難題に取り組もうとしたということではないだろうか。

自殺者の多さに心痛

 今回、訪日にあたってバチカンは、「すべてのいのちを守るため」というテーマを掲げている。2015年にフランシスコが全世界の信者に向けて発表した法王の環境問題に関する指針である回勅、「ラウダート・シ」の最後の部分「被造物とともにささげるキリスト者の祈り」からとったもので、人間1人ひとりの尊厳と環境を大切にすることを訴えるものだという。

 近年、大規模な自然災害や原発事故に見舞われた日本において、被災者に寄り添い、復興を祈る。就任以来、取り組んできた格差是正の視点から、貧者など恵まれない人に配慮することも訴えるだろう。また、教会関係者によると、日本で自殺者が多いことに法王は心を痛めていて、この問題も「すべてのいのちを守る」ことの念頭にあるのだという。

 最近、フランシスコは、訪問先で、教会批判のプラカードを掲げる人々の手荒い“歓迎”を受けることが多い。欧米では、必ずといってよいほどだ。

 カトリック神父による少年少女への性的虐待、さらには、加害神父を守ろうと表ざたになる前に他の教区に異動させ、これにより加害神父は新たな地で同様の犯罪を繰り返して被害が拡大したことが次々と明らかになっており、こうしたバチカンの姿勢への抗議だ。教会を挙げた隠蔽工作、後手後手の対策など、法王が批判の矢面に立たされ、外遊にも影を落としているのだ。だが、被害が明るみになって問題となっているのは、主に北米やヨーロッパで、アジアではほとんど被害報告はない。日本の場合、信者が少ないこともあり問題化しておらず、しかも、欧米での性的虐待問題についても知らない人が多い。

 一方、バチカンでは、教義を揺るがすような改革を次々打ち出すフランシスコと、保守と呼ばれる人々との対立は抜き差しならぬ状態となっている。こうしたことから、就任当初は絶大な人気を誇ったフランシスコへの信者の支持も低下傾向にある。

 信者が少なく、バチカンの動向を詳しく知らない人が多い日本への訪問は、フランシスコにとって、心休まる時間となるかもしれない。

 訪日中の通訳を務めるのは、かつての教え子で日本に長いアルゼンチン人イエズス会士であることから、法王は、通常の外遊で用いるイタリア語ではなく、母語のスペイン語を使うという。その意味でも、自由闊達に話すフランシスコ法王を見ることができそうだ。

秦野るり子
1957年東京生まれ。江戸川大学教授。1982年、読売新聞社入社。経済部に配属され、農水省、流通業界、通産省(現経産省)、日銀などを担当。89年に国際部へ異動。ワシントン、ジャカルタ、ローマ特派員、国際部デスクなどを経て2008年から調査研究本部主任研究員。コロンビア大学ジャーナリズム大学院客員研究員、カリフォルニア大学バークレー校ジャーナリズム大学院客員講師も務め、2016年から富山国際大学教授、2019年から現職。著書に『ローマ法王2年目の挑戦』(読売新聞社)、『バチカン』(中公新書ラクレ)、『悩めるローマ法王 フランシスコの改革』 (中公新書ラクレ)などがある。

Foresight 2019年11月21日掲載

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。