川野幸夫(株式会社ヤオコー代表取締役会長)【佐藤優の頂上対決/我々はどう生き残るか】

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各店舗に主体性を持たせる

佐藤 ヤオコーは、バブル期に拡大路線を取りませんでした。当時は銀行などから、全国展開してはどうかとか、関東圏内を席巻しましょうとか、さまざまな誘惑があったんじゃないですか。

川野 こんな投資物件がありますといった話は多かったです。店ができる土地がある、そのためにはいくらでもお金を貸すという感じです。

佐藤 あの時に埼玉県をベースに地域に根ざす経営戦略で進まれたのは、本当に正しい選択でした。他の企業がバブルの負の遺産にあえぐ中、ヤオコーは平成の30年間、増収増益で、店舗も埼玉県を中心に6~7倍に増えた。利益率も業界トップクラスです。あの時代にどうして先が見通せたのですか。

川野 見えていたわけではありません。身の程を知っていただけですよ。

佐藤 と、おっしゃいますと。

川野 スーパーは人の労働力に多くを依存する労働集約型の産業です。しかも魚や肉、野菜などは、知識のある社員がいないと商品化できません。鮮度やおいしさ、あるいはこの部位はどう使ったらよいのかなど、それがわかる目利きが必要なのです。すると人材育成が先になります。人を育ててようやく店が作れるようになるのです。ですから簡単には店舗を増やすことができなかったんです。

佐藤 ヤオコーの店舗は、それぞれ特徴がありますよね。

川野 ヤオコーは、30年ほど前から「個店経営」という組織運営のスタイルをとり、できるだけ各店舗に商売の主体性を持たせてきました。もちろん会社の方針や、標準化されている部分もありますが、それらは8割ほどにして、残りの2割は自分たちの考えで売り場を作ったり、品揃えを変えたりできるようにしています。

佐藤 全体を切り盛りしている店長が若いのに驚きました。自分より年上のパートナーと信頼関係を築きながらお店を作っていくんですね。

川野 店長は、若い者から年配者までおりますが、以前、佐藤さんにお越しいただいた川越西口店の店長は若いですね。私どもは彼らをストアマネージャーではなく店主と位置づけています。また、本部のことは、サポートセンターと呼んでいて、できるだけ本部主導にならないようにしています。

佐藤 その川越西口店は、駄菓子コーナーに懐かしいお菓子があって、それを私より少し年下の女性が買って食べているのが印象的でした。

川野 駄菓子コーナーはほぼすべての店舗にあるんですが、それぞれ売っているお菓子が違います。各店舗で考えて、地元で支持されている商品を置きます。お店に来るお客様のことは、そのお店で働くパートナーさんが一番分かっています。お客様が実際に商品を手にして、それをどんな顔をして買うのか、例えば迷いながら買っていったのか、何か提案されて買っていったのか、そういう現場のニーズや雰囲気は、サポートセンターでは分かりません。一方、働いてくれているパートナーさんたちの多くは、その地域の住民でもありますからね。

佐藤 そこで働いて収入を得ていると同時に消費者でもある。

川野 パートナーさんはたいていが主婦で、食事に関しての様々な知識や知恵、経験を持っています。さらには地元の情報収集にも長けています。そういった人たちの力を生かしていくことが、お客様にも、商売にとっても一番いいことです。また、店長一人で考えても店長一人の知恵でしかありません。しかし、パートナーさんが100人いれば、100人の目、100の知恵が生まれます。

佐藤 そうなると、当然やる気も出てきますよね。

川野 せっかく楽しい働き方ができる職場なのに、ああやれ、こうやれという命令で働いてもつまらないですよ。

佐藤 そこが非常に重要ですね。ここ数年、たびたび自分の職場でちょっとイタズラしてネットに載せる「バイトテロ」が世間を騒がせてきました。でも自分が主体的に働いて、かつ大切にされていると思ったら、そんなことはしない。

川野 おっしゃる通りです。相手をきちんと認めてあげることが必要です。時間給でただ働かされていると思うのと、自分の持つ力を期待されて働いていると思うのでは、力の発揮の仕方が全然違います。

佐藤 でも日本では、すべてマニュアル通り、というチェーン店も多いですよね。

川野 本部でモノを考え、お店に指示していくチェーン理論というものがあって、これはどうも日本独特のもののようですよ。

佐藤 ファミレスなどで、こちらがかなり急いでいるのに、ごゆっくりと言われると、カチンとくる。マニュアルだけだと考える力を失ってしまうんですね。でも気が利く店員はそうは言わない。

川野 最初は私も、多くのチェーン同様に本部主導でやっていました。でも今から35年ほど前、あることに気がつきました。流通業は案外、人材の流動性があるのです。他の有名スーパーにいた人がヤオコーに入ってきたりします。そういう人は、ヤオコーのプロパー社員よりどこか大人に見えるんですね。社員は入社時から知っていますから、自分の子供をいつまでも子供のように思っているのと同じで、成長が見えないということがあるようです。でも転入してきた人を見て、私が、右だ、左だと全部指示してきたことが、実は社員の育成に有効でなかったと思えてきたのです。それから少しずつですが、仕事を現場に任せ、考えるようにしてもらいました。するとお店がどんどんよくなっていったのです。それで「個店経営」に移行していきました。

若き日の読書体験

佐藤 現在172店舗あるヤオコーも川野さんが入られた時は、まだ2店舗しかなかったそうですね。浦和高校、東京大学法学部の経歴で、よく家業を継ぐ決心をされましたね。

川野 正直なところ、高校時代には家を継ぎたくないと思っていました。

佐藤 何になりたかったのですか。

川野 社会派の弁護士になって、困っている人を助けようと考えていたんです。

佐藤 それには何かきっかけがありました?

川野 それがよくわからないのです。ただ一つ思い当たるのは、高校時代は下宿していて、自分の時間があり余るほどありました。その時に下宿先にあった筑摩書房の日本文学全集60巻ほどを片っ端から読んでいったんです。

佐藤 それは大きな経験ですね。

川野 それがいわゆるリベラルアーツとなったのか、読書体験が自然と自分の中で身になっていったんじゃないかと思います。

佐藤 一橋大学の名誉教授に中谷巌さんという経済学者がいます。もともと新自由主義的な立場で研究していましたが、グローバル資本主義批判に転じ、日本型経営を再評価する立場へ方向転換された。その転向の原点がどこにあるのかをうかがったら、文学全集を全巻読んだことだとおっしゃるんですね。中谷先生は、高校で病気をして、1年遅れた。その時に文学全集を端から端まで読んだそうです。それがどこかで影響していると。やはり高校時代に小説をたくさん読むのは、トータルな人生の中で大きな影響を与えますし、非常にプラスになると思いますね。

川野 同感です。それで私は法学部に進みました。母には経済学部と嘘をついて、実際には法学部を受けました。大学に入る前に父を亡くしましたから、当時は母が一人で店を切り盛りし、当然、私が家を継ぐことを望んでいました。でもそれには応えられません。せめてスーパーの理論や業界の情報を集めて母に伝えることで、貢献しようと考えていました。そんな折、当時助教授だった林周二先生の『流通革命』という本がベストセラーになりました。これに対していろいろ議論が沸き起こり、日本のチェーンストアを育てた経営コンサルタント・渥美俊一さんの流通革命理論に出会いました。それで宗旨替えしたんです。その時には、すでに母は私が法曹界で活躍することを期待していたので、なかなか言い出せませんでしたが。

佐藤 そうなったらもう司法試験にも身が入らないでしょう。

川野 そうなんです。それで何度も落ちました。法律学があまり面白くなかったこともありますが、いろいろ勉強してみると、小売業は私の思っていた仕事とは違っていた。世の中で大切な役割を担っている仕事だとわかり、小売業の分野で多くの方々に役立つような生き方をしていきたいと考えるようになり、この世界に入りました。

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