是枝監督も参戦、従軍慰安婦映画「主戦場」上映騒動にモヤモヤが止まらない

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出演者への敬意は?

 主催者であるNPO法人KAWASAKIアーツの担当者はこう言う。

「川崎市から懸念を示されたのは事実ですが、圧力があったわけではありません。全てボランティアによる運営なので、万一の事態に対応できるのか、警備や安全面を考慮しての決定でした」

 市の担当者も困惑する。

「映画祭の事務局に『訴訟を起こされている作品はどうなんでしょう』と懸念を伝えました。ですが、上映中止を要望したわけではありません。そもそも映画を見ておらず、内容を把握していないので、検閲という批判には当たらないのでは」

 すれ違う双方の主張。さらに批判が殺到すると、今度は11月2日になって、

〈一転上映へ〉

 と、報じられ、決定が覆る始末。二転三転の理由を再びNPOに尋ねると、

「映画祭の運営に協力してくださる方がいたり、他作品の監督が警備ボランティアを名乗り出てくださり、上映できると判断しました。市からの圧力はないという認識に変わりはありません」

 一方、デザキ監督は4日、上映会場に現れて、意気揚々と宣言したのである。

「表現の自由の大勝利だ!(中略)映画祭が政府の圧力に負けず伝え続けることが大切だ」

 どうにも、論点がすり替わっているように見える。

 この違和感について評論家の呉智英氏が、

「最近、表現の自由を訴える人たちは、“守る正義”ばかりを主張する風潮があります」

 と“懸念”を表明した上でこう解説する。

「大した事件も起きていないのに、事件だと主張し、商業的あるいは政治的主張の場としての成功を収めようとする。これはあいちトリエンナーレで実際に起こり、今回の映画祭でもそれに近い事態が引き起こされていると感じます」

 先の藤木氏と同じく映画に出演している拓殖大学元教授の藤岡信勝氏は、

「上映の決断は残念ですが、主催者が悪いとは思っていません。あくまで、こちらが求めるのは、双方の立場を聞いてくれる場を設けること。作り手への敬意と言うなら、出演者への敬意はないのでしょうか。我々の主張を無視したまま物事を決めるのは公平性の観点から大いに問題があります」

 表現の自由だ、検閲だと騒ぐ前に、まずは議論の噛み合わせに“矯正”が必要ではなかろうか。

週刊新潮 2019年11月14日号掲載

ワイド特集「稲妻走って『豊凶』占い」より

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