高倉健の実妹が悲しみ嘆く「元女優の養女の肉親排除」「奇怪な密葬」

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「高倉健」実妹が嘆く「非情の相続人」の肉親排除(1/3)

 高倉健の死から5年。唯一の子として遺産を総取りしてきた養女がついに手記を出版した。もっとも、肉親を徹底排除してきた理由や健さんが大事にした水子地蔵を破壊した理由にも触れずじまい。健さんの実妹ら血縁者や「チーム高倉」の面々は悲しみ嘆くのだった。

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 過去の偉業を称える叙勲の季節がやってきて、たとえ他の誰かであっても、その来し方に思いを馳せる場面は少なくないだろう。

 高倉健(本名:小田剛一)が俳優として4人目となる文化勲章を受けたのが6年前の秋なら、鬼籍に入ったのもまた、その1年後の11月10日だった。

 あれから5年の歳月が流れた。その間、「健さん」に関するエピソードの中でみなが虚を衝かれたのは、「すべてを相続した元女優の養女がいた」という事実ではなかったか。

 彼女は2013年5月1日に健さんと養子縁組をし、「小田貴(たか)」となった。結果、唯一の子として預貯金や不動産を相続。他方、血縁者に遺骨と正式に対面させないなど、極端な排斥主義を奉じてもきた。

 その無慈悲とも言える振る舞いについては追い追い述べるが、彼女は55歳となった今年、10月30日付で『高倉健、その愛。』を上梓。著書の帯には、“人知れず2人で暮らした17年の日々。孤高の映画俳優が最後に愛した女性による初めての手記”とある。

 このほど、歳月を経たというわけなのか、「小田貴月(たか)」を名乗るようになった養女は、発売前からワイドショーをはしご。カメラのアングルから表情は窺えないものの、肉声に加工は施されておらず、栗色のショートヘアに着物の装いでインタビューに答える姿がそこにあった。著書執筆のきっかけは健さんが亡くなる2年前、

〈僕のこと、書き残してね。僕のこと一番知ってるの、貴だから〉

 そう言われたことだったと本書にある。彼女はそれを宿題と呼び、1996年、香港のホテルでの突然の出会いから繙(ひもと)いていく。その暫く後から、彼女は健さんの東京・世田谷の豪邸で起居を共にし、身の回りの世話をするようになった。

 健さんは4人きょうだいの2番目で、兄と上の妹はすでに物故したが、一番下の妹である森敏子さん(84)は九州在住。そして彼女を含む健さん以外のきょうだいには、それぞれ2人ずつ子供がいる。すなわち、健さんから見れば甥や姪にあたる人たちで、彼がことに目をかけ、日を空けることなく連絡を取り合ってきた親族だ。他ならぬ敏子さんご本人に聞くと、困った様子で、

「“亡くなったら書いてくれよ”と、兄は言わないと思うんですよ……」

 とこぼす。あるいは、健さんの24時間をサポートし、全てを捧げてきた「チーム高倉」で重きを成していた一人もまた、

「知り合いから“健さんの本が出てたよ”って聞いたから、それで立ち読みしたんです。(大事なことは何も)書いてない。なぜ、出したのか……。あれだけ、健さん、ガードしていたのに、いろんなことを。それを、喋るのが、一番(イヤに違いないのに)」

 そんな風に、敏子さんに同調するのだった。

 著書には、健さんが口にした食事の献立の詳細はあっても、死の僅か1年前に突如、養女になった経緯は記されない。健さんにとって最後の女性だったはずなのに、なぜ妻として入籍せず、養女だったのかも謎のままだ。健さんの滑舌の自主トレ場面は詳しいけれど、奇怪な“密葬”の場面は1行もない。離婚した江利チエミを語る健さんは登場しても、江利との間の水子を祀る墓が健さん没後に更地となった事実も理由も明かされない。

 人生は選択の連続で、何か一つを選ぶということは一つを捨てることになるわけだから、綴られない理由を詮索するのは無意味かもしれない。とはいえ、誰かの言うように「大事なことは語られない言葉の中にある」ということもある。以下、この5年の間に漏れてきた「声なき声」に耳を傾けていくことにしよう。

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