ラグビー裏で16.8%「ポツンと一軒家」人気の理由

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王者日テレをジャイアントキリング!?

 10月13日、ラグビーワールドカップの日本vsスコットランド戦が行われた。手に汗握る熱い戦いに日本中が注目し、日本テレビで放送された生中継は39.2%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を叩き出した。

 瞬間で見れば50%超えもあったというのだから、恐るべし日本代表! 放送した日本テレビは予選突破の歓喜に勝る雄叫びを上げたに違いない。その裏でもうひとつの快挙とも言える事態が起こっていた。テレビ朝日系列の「ポツンと一軒家」が2時間半の特番を組んで、しっかりと16.4%の視聴率を稼いでいたのだ。

 改めて説明するまでもなく、この時間帯は、本来なら日本テレビは「ザ!鉄腕!DASH!!」と「世界の果てまでイッテQ!」を放送している、いわゆる「日曜ゴールデン」。他局がどんな企画をぶつけてきてもビクともしなかった「日テレ3冠」の本丸をなす牙城である。しかし、テレビ朝日系で「ポツンと一軒家」が始まると、徐々に数字を伸ばして、最近では、ほぼ拮抗。時には追い抜かれるくらいになっていた。牙城が崩れ始めていたのだ。
 そんなところで起こったのが今回の“現象”。この快挙はラグビーの大熱狂にすらビクともしなかった確実なファンを「ポツンと一軒家」が獲得していた証明にもなる。

 で、この“現象”を山口達也の離脱やマンネリ化といった「マイナス面」で論じても仕方ないので、ここはひとつ「ポツンと一軒家」、その魅力について、少しだけ深く考えてみよう。

 ちなみに「ポツンと一軒家」とは昨年10月に始まった、ドキュメンタリータッチのバラエティ番組だ。衛星写真から探し当てた山の中の一軒家を訪ねて、そこの暮らしや住んでいる理由、土地の来歴を聞く。ただ、それだけ。訪ね歩くのもタレントではなく番組スタッフで、VTRをスタジオの所ジョージたちが、あれやこれやと論評するのみ。なのにタレント満載の日テレの番組に伍するのは、ある意味、ジャイアントキリング。

田舎を見下す日本人

 地方創生や人口減少時代のコミュニティに関する研究を行う日本総研シニアスペシャリストの井上岳一さんは、田舎暮らしの合理性や可能性を論じた新著『日本列島回復論――この国で生き続けるために』のなかで同番組に触れている。

〈番組のMCを務める所ジョージや林修、そしてゲストの基本的な態度は、「こんな人里離れた山奥の一軒家に住んでいる人は、一体、どんな人だろう」という怖いもの見たさ半分の興味本位です。しかし、家を探す道すがら出会う人々の親切や、訪ね当てた一軒家で出会う住人たちの手業や生き様に触れているうちに、「人間って凄いな」という感動が湧き上がってくるのです。(中略)もっとも、所ジョージは、「凄い! ドラマだよねぇ」と感動を素直に表現する一方で、「でもさ、さすがにあそこには住めないよね」というようなコメントで水を差すことを忘れません。(中略)どんなに素敵に見えても、都会での暮らしを捨てて、そういうところに暮らす合理的な理由が見出せないというのが、正直なところなのです〉

 なるほど確かにそうだろう。けど、筆者は、ポツンと一軒家に住むことに〈合理性を見出せないと思ってしまう感覚は、一度、疑ってみる必要があるのではないか〉として、次のような指摘をする。

〈一軒家の住人たちは、不便さを感じている様子は全くありません。(中略)山の中での暮らしが不便と思ってしまうのは、消費者としてしか生きられない自らの不自由を棚に上げた一面的なものの見方でしょう〉

 ここで言う消費者とは、お金さえ払えば何とかなる暮らしをしている人のこと。言い換えれば、お金がなければ何にも出来ない都会人に対しての痛烈な皮肉。そして、

〈一軒家の住人たちは、自分で自分の暮らしをつくっています。それは実はとても自由なことで、何にも拠らずに生きている生き様は、究極の自立を実現していると言えます。自由で自立した個人は、明治の近代化以来、ずっと私たちが追い求めてきたものです〉〈孤立ではなく、自立しているのです〉

 と言い、論の矛先をのんびりテレビを見ている我々の価値観、先入観に突き付けてくる。
〈でも、彼・彼女らの暮らしを見て、近代的と思う人はまずいないと思います。むしろ、反近代や前近代を感じるはずです〉

〈「ポツンと一軒家」を見ていると、「こんな山奥に、こんな立派な人がいるんだ!」と思わず驚き、感動させられるのですが、それは、裏を返せば、「山奥」と「立派な人」との間にそれだけイメージ上のギャップがあるということです〉

 バラエティ番組を見てるのに、居住まいを正してしまいそうな、そんな記述だが、よくよく考えると、「ポツンと一軒家」は、そんな心の中で見下していたものを見事に掬い上げ、リスペクトの対象に昇華させているのかもしれない。だからこそ視聴者は田舎に対する先入観を容易に解き放つことができ、その上で自らの逼迫した都会生活、会社に依存しきった日常と比べながら引きこまれてしまうのだろう。ゲラゲラもなければ、ドキドキもない(狭い林道を走るシーンは緊張するが)番組が、気が付けば日テレのキラキラの牙城を打ち崩す勢い。世界の絶景よりも、スタッフが手助けしてくれるダッシュ島よりもずっと現実的な羨望であり魅力の対象なのである。

デイリー新潮編集部

2019年10月30日掲載

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