アルビレックス新潟がミャンマーでデフサッカーを支援 現地取材で分かった苦労

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予選1勝が目標

 19年9月10日、カタールW杯のアジア2次予選がスタートし、日本代表は敵地でミャンマー代表に2-0の勝利を収めた。試合日の2日前の8日、聾学校の子供たちが練習するヤンゴンユナイテッドのフットサルコートで、米山さんと練習中の生徒を取材した。

 耳は聞こえなくとも目は見えるため、コーチがデモンストレーションをすると女の子たちはリフティングやドリブルなどの練習メニューを笑顔で消化していく。緊張感はまるでなく、純粋にサッカーを楽しんでいる。なかには素足でボールを蹴っている女の子も2人ほどいた。

 デフサッカーの特徴としては、耳が聞こえないため主審は笛を吹く代わりにフラッグを上げる。選手同士のコミュニケーションは手話で行う以外は普通のサッカーと変わらない。

 障害者のサッカーといえば、来夏に東京で開催されるパラリンピックに出場するブラインドサッカーを思い浮かべる方も多いだろう。残念ながらデフサッカーはパラリンピックの種目に入っていない。

 その理由として「ブラインドサッカーは健常者でも目を塞げばできますが、デフサッカーだと耳を塞いでも多少は聞こえる。聾唖者は障害者としては健常者に近いため、デフリンピックという独立した大会を開催した」(米山さん)とのことで、そういう経緯でパラリンピックの参加資格を失ったそうだ。

 現在の主な活動は、サッカースクール事業に加え、メリーチャップマンの聾学校の子供たちを教える「アカデミー事業」、そしてCSRとして養護施設もミャンマーには数多いので、月に1回コーチを派遣するサッカークリニックの3本柱がメインになっている。

 これまでの地道な活動により、メリーチャップマン聾学校には、キリンHDがM&Aを行ったミャンマービール、大塚製薬、クボタの3社がスポンサーとして名を連ねている。今年1月からはミャンマークボタも加わった。

 さらに10月29日から11月12日にかけて、香港で開催される「第9回アジア太平洋ろう者競技大会」(兼2021年デフリンピック・アジア予選)に向けて、日系企業を中心にスポンサーを探していた――「過去形で書いたのは、第9回の大会がデモの過熱化などを理由に開催が中止になってしまったからだ」

 日本では「一般社団法人 日本ろう者サッカー協会」が設置されている。一方のミャンマーにはデフサッカーの協会が存在しないため、米山さんらが香港協会とコンタクトを取りエントリーしていた。遠征のための資金捻出も米山さんらが中心になって集めていた。

 大会の目標については「まずは出場すること。そして予選で1勝という感じですね」と米山さんは控えめに語っていた。というのも前述したように2016年の大会に参加したメリーチャップマン聾学校の選手は「まったく歯が立たなくて0対20とか、0対18のスコアになってしまった」からだ。

「フットボールと出会えてハッピー」

 ただし、惨敗にも理由がある。ミャンマー代表は13歳から18歳の選手構成だったのに対し、「タイとかマレーシアや他の国々は全国から選手を選抜し、社会人の選手を連れてきた」(米山さん)からに他ならない。

 それでも米山さんは「それはそれで、いい経験になりました。大会に行って良い経験になったし、事前に勉強会もして、終わった後も報告会をして、選手も社会勉強をしたので、次はまず1勝を目指してやっていますね」と前向きにとらえている。

 そしてキャプテンを務めるチュン・ネンダートンさんは「フットボールと出会えてとてもハッピー」と笑顔を見せた。8歳からサッカーを始め、現在は19歳。今大会でミャンマー代表に抜擢されたエースでもある。

 香港での大会がもし実施されていたなら、女子はベスト4に進出すると2021年に開催される(開催地は未定)デフリンピックの出場資格を得ることができた。中止が決まる前、参加国はミャンマーを含めて3カ国しかエントリーしていなかった。米山さんも「どうなるのか? デフリンピックに出られちゃうのかなという感じです」と困惑気味だった。

 ただ、残念ながら10月9日、米山さんから「ミャンマーサッカーとフットサルの代表は香港での大会出場をキャンセルすることになりました」というメールが届いた。

 その理由として、犯罪容疑者の中国本土への引き渡しを認める逃亡犯条例の改正案に反対する抗議活動が拡大し、治安に不安があること。選手の大半が未成年ということで、学校側と相談し、今回の参加は見送ることになった。しかしながら、「国際大会は、来年も開催される予定ですので、そこを目指して行こうと考えております」と国際大会にかける情熱にはいささかの陰りもない。

 日本ろう者サッカー協会は、2019年は1月から毎月休みなく12月まで男女とも活動を継続していて、強化に余念がない。ミャンマーとは比べものにならないほど組織は充実し、活動範囲も多岐に渡っている。

 そんな日本は2025年のデフリンピック招致に立候補している。招致が決まればデフサッカーの強化と同時に告知にも力を入れることになるだろう。そして2025年大会にミャンマー代表がアジア予選を突破して来日する可能性もある。その時は「おもてなし」の心で温かく歓迎したい。

六川亨(ろくかわ・とおる)
1957年、東京都生まれ。法政大学卒。「サッカーダイジェスト」の記者・編集長としてW杯、EURO、南米選手権などを取材。その後「CALCIO2002」、「プレミアシップマガジン」、「サッカーズ」の編集長を歴任。現在はフリーランスとして、Jリーグや日本代表をはじめ、W杯やユーロ、コパ・アメリカなど精力的に取材活動を行っている。

週刊新潮WEB取材班編集

2019年10月23日掲載

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