「政変」勃発ペルー「大統領VS.フジモリ派」の行き着く先

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 経済的低迷が続く中南米諸国の中で堅調な実績を誇ってきたペルーだが、汚職対策を巡る政府と議会の対立が昂じて大きく揺れている。危機の収拾を誤れば持続成長にも影響が及びかねない深刻な事態だ。

 ペルーは2018年までの20年間、中央銀行発表の公式統計では、年平均4.7%のGDP(国内総生産)成長率を記録、2004年に人口比58.7%を占めた貧困人口も2018年に20.5%まで削減された。その社会経済実績はIMF(国際通貨基金)などの国際機関からも極めて高い評価を得てきた。

 しかし、2年後の2021年に迫った独立200周年を、誇るべき発展の実績とOECD(経済協力開発機構)加盟をもって祝賀するという超党派の国家目標の実現を危うくしかねない状況に陥ったと言えよう。

議会解散は合憲か

 9月30日、野党が多数を占める議会が憲法裁判所判事を選出する投票を行ったところ、これに反対するマルティン・ビスカラ大統領が「事実上の内閣不信任」として議会を解散し、来年1月26日に議会議員選挙を実施する決定をした。

 これに対して議会は、解散は「憲法違反」であり、大統領による解散権の乱用、「クーデター」だとして、大統領の1年間の職務停止を決議。メルセデス・アラオス副大統領を暫定大統領に指名し、就任宣誓を行った。

 だが、街頭での大統領の決定を支持する国民の動きが高まり、3軍と警察が大統領の決定を支持したことで、翌10月1日、アラオス副大統領は副大統領を辞任するとともに暫定大統領の就任を撤回した。

 2人の大統領が誕生する事態はひとまず回避されたが、副大統領の辞任の他に、経済・財務大臣、外務大臣など主要閣僚も内閣を去るなど、立憲秩序が崩れたとする見方は政府与党内にも強い。

 また米ワシントンに本部を置く「米州機構(OAS)」が声明で、憲法裁判所に司法判断を要請し、大統領を含む総選挙の実施を促すなど、国際社会の見る眼も一様に厳しい。

 現行の1993年憲法下で決行された初めての議会解散であり、議会解散に至った「憲法解釈」をめぐる紛糾は簡単に収まるとは考えられず、大統領側が想定するように事態が収拾されるかは予断を許さない。

 今回の議会解散は、ペルーの「ベネズエラ化」だとも野党から非難されている。ペルー政府はこれまで、周辺諸国から成る「リマグループ」を率いて、独裁化を強めるベネズエラのニコラス・マドゥロ現政権の正統性を問い、フアン・グアイド暫定大統領を支持して民主化を求めてきたが、その外交的指導力が弱まることは避けられない。

 ペルーは大統領制をとっているが、内閣を設けて行政に当たっている(閣僚会議議長は首相)。「5年の大統領任期内に2つの内閣に対し不信任案が可決された場合に議会を解散できる」とした解散権が現行憲法で初めて大統領に付与された。憲法規定に照らして、今回のビスカラ大統領の決定が合憲であったのかが問われているのだ。

 ビスカラ大統領は、政府の汚職対策に反発する野党寄りの憲法裁判所判事の任命を阻止するため、判事選出の投票直前、判事の任命方式の変更を求めて内閣信任案を提出する攻勢に打って出た。

 これに対し、議会は判事の任命を強行した後に、(当然のことながら解散を恐れ)内閣の信任案を可決したのである。だがビスカラ大統領は、その前に判事の任命を強行したことを「事実上の不信任」と解釈して解散を決行したのであった。

歴代4人の大統領に捜査が及んだ

 汚職対策を巡る行政府と立法府の対立は根深い。

 すでに『「自殺」で幕を閉じた「ペルー元大統領」の二面性』(2019年4月24日)で報告したように、ペルーでは、ブラジルの建設大手「オデブレヒト社」による贈賄に絡んで、2001年以降の歴代4人の大統領すべてに検察の捜査が及んだ。

 2018年3月にはP.P.クチンスキー大統領(在任期間2016~18年)が辞任するに至り、インフラ建設など公共事業の中断にも影響が出た。憲法に基づき、当時のビスカラ第1副大統領が後継の大統領に昇格、アラオス第2副大統領が第1副大統領に昇格した(任期はクチンスキー大統領の残任期間に当たる2021年まで)。

 汚職撲滅をミッションとして誕生したビスカラ大統領は、就任直後に新たに発覚した議会野党と司法府を巻き込む組織的汚職の実態に直面。少数与党の下にあって、世論の支持をバックに急進的な司法・政治改革を進めることで主導権を確保しようとし、議会との対立を深めてきた。

 しかし、議会で多数派を占める野党フジモリ派(人民勢力党)など改革に抵抗する立法府と行政府との対立は膠着状況に至り、妥協点を見出すことなく、今回ついに立憲秩序の綻びという事態に行き着いた。

 アルベルト・フジモリ元大統領の長女で人民勢力党党首のケイコ・フジモリ氏が、2011年の大統領選挙においてオデブレヒト社から違法な選挙資金を受け、資金洗浄に関わったとの疑いで、捜査が進んでいる。2018年には予備的に勾留された(勾留期間は当初36カ月、その後18カ月に短縮)。

 フジモリ派は、捜査の過程で党首のアラン・ガルシア元大統領が自殺に追い込まれた「アプラ党」と共闘し、改革には政界再編成が不可欠と見て大統領が提案した総選挙を1年前倒しする法案を廃棄するなどしてきた。そして、政府の改革を妨害する勢力として、「みんな出ていけ!」の掛け声の下で高まる世論の反発にさらされてきたのである。

変化した「フジモリ後」のルール

 今回衝突に至った行政と立法の対立は、基本的にはペルーの民主政治の制度的脆弱性に起因するものであるが、管見では、先ずもって2000年のアルベルト・フジモリ政権崩壊以降、事実上守られてきた政治のルール、すなわち与野党が持てる権限を使って相手を追い詰めることなく民主政治を守るという不文律が、2016年の総選挙の結果、変化したことが大きいと考える。

 今日ペルーが誇る持続成長が、フジモリ政権(1990~2000年)による構造改革とテロ対策によって、自由市場経済の基盤が据えられた結果であることは明らかである。

 しかし、新自由主義の下での急進的改革は弊害を生み、政治的にも問題を生み出した。少数与党の下での国会運営はしばしば野党の反対に遭遇し、膠着状況を乗り越えるために軍を動員して国会を閉鎖するなど、その強権的手法は民主的制度の浸食を進め、社会の対立と分断を深めた。

 特に2000年の政権崩壊に至る過程で、人権侵害と、三権やメディア、財界を蝕んだ壮大な汚職構造が膨大な数のビデオに撮影された映像を通して暴露されたことは、社会に大きな衝撃を与えた。

 元大統領を25年の実刑に追い込むことになった政治勢力は、「フジモリ後」の21世紀に託された課題として、コンセンサスに基づく民主政治の再建と汚職撲滅(!)、社会融和の実現をその政治行動に織り込んだのである。

 そのため、2001年の大統領選に勝利したアレハンドロ・トレド大統領(在任期間2001~2006年。現在、オデブレヒト社の汚職事件をめぐり、米サンフランシスコ連邦警察の下でペルーへの引き渡し審理のため勾留中)は2002年、政党、経済界、労組、カトリック教会、市民社会などの代表による円卓会議を開催。「国民合意」を結び、ポストフジモリの船出に当たり、近代的な法治国家と自由市場経済モデルの基盤を確認した。

 外資導入に基づく一貫した経済政策とは対照的に、2016年選挙まではいずれの政権も少数与党で、政治運営は不安定で脆弱さを抱えてきたが、民主政治は維持されてきた。幸い、与野党いずれにも単独で過半数を握る勢力は現れなかった。

 というのも格差の大きいペルー社会では、成長の恩恵から取り残されたアンデス高地農村部などの貧困層の側に立って、政権に批判的な左派の言説を説く勢力が、5年ごとの大統領選挙で当選してきた。

 しかし与野党の対立が強権化を招いたフジモリ改革の経験が学習効果をもたらしたと言ってよく、少数与党政権にあっても、野党は政府を追い詰めることなく、法案毎に是々非々の対応を行い、貧困救済など社会福祉の面でも成果を挙げてきた。

 広く張りめぐらされた外国との自由貿易協定の制約もあり、いずれの政権も自由市場モデルから逸脱することなく持続成長を挙げてきたが、次の大統領選挙では公約を果たせない与党は敗北し、他党に政権を譲り渡すことが恒常化してきた。

立法府と行政府に正統性が二分化

 だが、2016年の総選挙の結果、どの勢力も多数派を占めない中で、政権を追い詰めないという暗黙のルールに変化が生じた。

 大統領選挙において、ケイコ・フジモリ氏がダブルスコア(得票率40%と21%)で首位につけながら過半数をとれず、決選投票でクチンスキー氏に逆転され、得票率0.24%の僅差で涙を呑んだのである。彼女が大統領決選投票に敗れるのは11年の選挙に続き2度目だった。

 その結果、大統領選の1回目の投票と同時に行われる議会選挙では、ケイコ氏率いる野党の人民勢力党が圧勝。定数130の1院制の議会のうち73議席と絶対多数を占める、フジモリ政権後初の強大な野党の誕生をみることになった。

 議会選挙の結果誕生する立法府と、大統領選決選投票を経て成立する行政府との間で、行政権と立法権に正統性が二分化される制度上の問題の発生である。

 2016年の大統領選挙は、自由経済を信奉する保守勢力同士が決選投票で争う初の事象であったが、もとより両者が「国民合意」に基づき、国の発展を見据え、協調して政治運営に当たるというのが成熟した民主政治の展開の在り方であったはずである。

 だが、決選投票で激しさを増し、クチンスキー氏の逆転につながった反フジモリ(反「腐敗した独裁者」)感情の噴出は、フジモリ派に大きな傷跡を残し、容易に癒されることはなかった。またフジモリ元大統領に対する恩赦をめぐっても与党内に反発が強く、両勢力の協調は実際困難であったろう。

 大統領選挙で敗れたフジモリ派は「建設的な野党」になることを表明しながらも、いつでも非難決議や弾劾の動議提出が可能な絶対多数という実権をもって議会からの統治に臨み、数々の大臣を召喚して辞任に追い込むとともに、内閣の不信任決議を1回可決。2018年には、先述の通り、汚職容疑でクチンスキー大統領自身を辞任に追い込んだ。

 1度目の弾劾決議は、フジモリ元大統領の恩赦と引き換えに、ケイコ氏の弟ケンジ氏の派閥(10議席)を抱き込むことで回避に成功したクチンスキー大統領(当時)だったが、2度目の弾劾審議を前についに辞任を強いられた。

 その後もフジモリ派は、後継のビスカラ大統領の改革の前に立ちはだかり、汚職容疑の解明を阻むとともに、党首や関係者を守り、政府の提案した汚職対策のための司法・政治改革案を抑え込んできたのである。

「合憲」判断でも「違憲」判断でも……

 つまりペルーでは今回、フジモリ元大統領が1992年、破綻した経済からの回復に向けてテロ対策と民営化などの改革を断行しようとして議会の抵抗に遭い、軍を動かして議会を閉鎖、司法に介入した、いわゆる「自主クーデター」に類似した政変が、皮肉にも攻守所を変えて再現されたと言えるのである。

 この時も、大統領には、議会が政府の改革を妨害しているという80%に達する圧倒的に高い世論の支持があった。

 最後に今後の動向である。

 先ず憲法裁判所に判断を求めざるを得ない状況である。すでに解散後も機能が残る議会常任委員会が手続きを開始した。だが、汚職構造が指摘され、中立性を疑われる憲法裁判所である。「違憲」との判断が出されたとしても国民に受け入れられる保証もない。直後に現地の調査機関ペルー問題研究所(IEP)が行った世論調査では、大統領の議会解散を支持する人の割合は84%に達している。

 また「合憲」と判断しても、憲法に明記されていない解釈の余地が広がることになり、立憲秩序は定まらないであろう。米州機構の関与が求められる可能性もある。

 事態を収拾するには、「違憲」と判断されても、再設置された議会による大統領弾劾に進むのではなく、議会と大統領との合意に基づく創造的な出口(総選挙の実施など)を模索する必要があろう。

 他方、来年1月26日の実施が公示された議会議員選挙に向けた動きはすでに開始されている。状況が政府側に有利に展開し、選挙戦が進むと仮定すれば、世論の動向からして、フジモリ派やアプラ党など、政府の汚職対策に反対した勢力が伸びることは考えられない。となると、与党がどこまで新たな政治基盤を創り出せるかが焦点であるが、自由市場モデルに反対してきた「拡大戦線」など左派系が伸びることが予想される。

 また議会常任委員会は機能を続けるが、当面は行政をチェックする議会の機能が弱くなる中で、世論の支持を頼りにした政権のポピュリズム化が進むことが懸念されるところである。制度を弱体化させ、不定形な世論を頼りにした政権が結局は世論によって裏切られることは、ポピュリズム政治の常として心得ておく必要がある。

 いずれにせよ、ペルーはフジモリ政権崩壊後の最大の政治危機に直面した。

遅野井茂雄
筑波大学名誉教授。1952年松本市生れ。東京外国語大学卒。筑波大学大学院修士課程修了後、アジア経済研究所入所。ペルー問題研究所客員研究員、在ペルー日本国大使館1等書記官、アジア経済研究所主任調査研究員、南山大学教授を経て、2003年より筑波大学大学院教授、人文社会系長、2018年4月より現職。専門はラテンアメリカ政治・国際関係。主著に『試練のフジモリ大統領―現代ペルー危機をどう捉えるか』(日本放送出版協会、共著)、『現代ペルーとフジモリ政権 (アジアを見る眼)』(アジア経済研究所)、『ラテンアメリカ世界を生きる』(新評論、共著)、『21世紀ラテンアメリカの左派政権:虚像と実像』(アジア経済研究所、編著)、『現代アンデス諸国の政治変動』(明石書店、共著)など。

Foresight 2019年10月9日掲載

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