大の親日家だったシラク元大統領 相撲に耽溺、愛人も?

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 その断固たる行動力を人は「ブルドーザー」と呼んで畏怖した。9月26日に86歳で他界した元フランス大統領ジャック・シラク氏。彼の名が世界に知られたのは1974年、41歳で首相に就任したときである。週刊新潮のコラム「墓碑銘」から、シラク氏を偲ぶ。

 76年、首相辞任と同時に右派政党「共和国連合」を結成し、77年から18年にわたりパリ市長を務める。この間、社会党を率いるミッテランと2度、大統領選で激突するも敗北。95年に3度目の挑戦で当選してから2期12年、エリゼ宮の主として君臨した。

 仏政治に詳しい帝京大学の渡邊啓貴教授がその足跡を振り返る。

「思い出されるものとして、2003年のイラク戦争開戦に際してアメリカに強く反対し、対峙したことが挙げられます。彼は大統領就任時から米国による一極支配に異を唱え続けていました。欧州統合に絡んでは、ユーロ導入や共通安全保障防衛政策の策定などに尽力し、EUの結束にも貢献した。多極化する国際社会の中で米国を牽制しつつ、自国の存在感を高めた大統領で、就任直後には批判の中、核実験も断行しています」

 日本でおなじみなのは、やはり大相撲ファンとしての一面だろう。好角家シラク氏の来日回数は、公私合わせて50回以上にも及ぶという。時には九州場所などの地方場所にも足を運び、パリ市長時代の86年と大統領時代の95年には“パリ場所”を招致してもいる。

 毎日新聞元外信部長の西川恵氏によれば、

「本場所が始まると在東京仏大使館は、夕方から多忙を極めるといわれていました。広報部長は、その日の取組の星取表をエリゼ宮にファックスするのが最優先の仕事となる。そこに独自のコメントや新顔力士の経歴なども付さなければなりませんでした。大統領は優勝力士ばかりか、結婚、あるいは婚約した力士にも祝電を出すほど。00年には『仏共和国大統領杯』まで創設しています」

 観戦姿勢からも“愛”が伝わったと相撲ジャーナリストの中澤潔氏は言う。

「トランプ米大統領は警備上の都合もあって特設のソファーに座って観戦しましたが、シラクさんは一般客に混じって桝席の座布団に。日本のしきたりをよく理解なさっていたのでしょうね」

 日本の古美術、古典、伝統芸能などあらゆる文化に通暁していた。来日時、首相官邸に置かれた像を通訳が「埴輪」と説明すると、「土偶だ」と訂正して、たしなめた逸話は有名だ。

 先の西川氏に訊くと、

「少年時代にパリの美術館で仏像を見て受けた衝撃が、日本に傾倒したきっかけだったと語っています。『万葉集』を“世界最古の文学”と絶賛し、『源氏物語』や『奥の細道』も愛読していた。ワインより日本酒が好きで、在日仏大使が一時帰国する際には日本酒をエリゼ宮に届けるのがルールになっていました」

 一方であまりの日本への傾倒ぶりは、ある憶測を呼んだ。事情通いわく、

「日本に愛人がいたというのは公然の秘密です。50回超に及ぶ来日には、彼女に密会するためのお忍び旅行も含まれていました」

 お相手は、音楽家だ、貿易会社の社長令嬢だ、いや、画廊の社長夫人だなどと、様々に取沙汰された。

 この点、西川氏は、

「真偽のほどはともかく、その噂は広く人口に膾炙しました。彼は根っからの優男で、それは異文化へのまなざしにも表れていた。日本だけでなく南米の先住民文化などにも精通していましたが、欧米諸国による“上から目線”の評価を蛇蝎のごとく嫌い、相手への敬意と愛情を常に欠かしませんでした」

 11年にアルツハイマー病を患っていると報じられて以来、公の場には姿を見せていなかった。弔問の記帳台が設けられたエリゼ宮には、その死を悼む人々の長い列ができた。

週刊新潮 2019年10月10日号掲載

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