不登校YouTuber「ゆたぼん」と作家「太宰治」 SNSで話題の核心部分とは?

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太宰が「ゆたぼん」を“論破”と話題

 話を戻せば、「なぜ勉強をしなければならないのか」という根源的な問いに答えるのは意外に難しい。Twitterでは、多数のユーザーが様々な角度から「勉強の必要性」を主張したのだが、そこに登場したのが太宰治だった。

 今年の夏、ゆたぼんがAbemaPRIMEの取材に答える写真と、太宰治の小説『正義と微笑』の文庫版・19ページを写した写真が並び、「少年革命家がいま話題になってるけど例の発言に大して太宰治が時を越えて論破してるから流石だなぁって」(原文ママ)とのツイートで発信されたのだ。

 太宰の出典を正確に言えば、元本は新潮文庫の『パンドラの匣』。これには『正義と微笑』と『パンドラの匣』の2本の長編小説が収録されている。

 写真で紹介された『正義と微笑』だが、そもそもどんな小説なのか、新潮文庫版に収められた文芸評論家の奥野健男(1926~1997)の解説から引用しよう。

《太宰治の許に出入りし、小説の指導を受けていた文学仲間であり弟子であった堤重久氏の弟の、堤康久氏の昭和十年前後の十六歳から十七歳にかけての日記を元にした小説である(堤康久氏は当時中村文吾の芸名で前進座の若手俳優であり、戦後は『正義と微笑』の芹川進の芸名で演劇活動を続けている)。太宰は「あとがき」で、「『正義と微笑』は青年歌舞伎俳優T君の少年時代の日記帳を読ませていただき、それに依って得た作者の幻想を、自由に書き綴った小説である」と述べている》

《どこまで堤康久氏の日記によったのか、どこから作者の想像によるフィクションかは、堤氏の日記と照合しなくてはわからないが、堤氏の日記に書かれた事実を借りながら、主人公の心情や思想の殆どは太宰治の創作であろうと想像できる。なぜなら主人公、芹川進の心情は余りに太宰治的であるからだ。しかし同時に昭和十年頃の旧制中学生、大学予科生の風俗と言動を実に巧みに日記から再現している。戦前も今日も、全く同じように受験勉強に苦しみ、愚劣な教師や友人や運動部の先輩などに悩まされ、嫌悪しながら傷ついている。読んでいて、どうして、今日も昔も学校というものは、愚かなまま変わらないのだろうと溜息が出て来るほどだ》

『正義と微笑』が描いた世界は、ゆたぼんが提示した不登校というテーマと、実はそれほど遠いものではないことが分かる。主人公の芹川進は不登校にこそなっていないが、学校という場所に疑問を抱いている。

 Twitterで紹介された『正義と微笑』の一節は、具体的には《去年わかれた黒田先生》の発言だ。英語教師で、主人公は《利巧だった。男らしく、きびきびしていた。中学校全体の尊敬の的だったと言ってもいいだろう》と評している。

 この黒田先生が、主人公を含むクラスの全員に別れを告げるシーンがある。「クビになる前に、俺のほうから、よした。きょう、この時間だけで、おしまいなんだ。もう君たちとは逢えねえかも知れないけど、お互いに、これからうんと勉強しよう」と呼びかけるのだが、ここで“勉強の重要性”が語られる。一部をご紹介しよう。

《勉強というものは、いいものだ。代数や幾何の勉強が、学校を卒業してしまえば、もう何の役にも立たないものだと思っている人もあるようだが、大間違いだ。植物でも、動物でも、物理でも化学でも、時間のゆるす限り勉強して置かなければならん。日常の生活に直接役に立たないような勉強こそ、将来、君たちの人格を完成させるのだ。何も自分の知識を誇る必要はない》

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