故・シラク仏大統領「日本との出会いがあったからこそ当選できた」と発言

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大統領当選の原動力になった箱根滞在

 シラク氏が大統領になるにあたっては日本が大きな力となった。大統領選の2年前の93年、当時パリ市長だったシラク氏率いる保守・共和国連合(RPR)は総選挙で勝利した。氏は腹心のバラデュール氏を首相に送り込み、社会党のミッテラン大統領とコアビタシオン(保革共存政権)を組ませた。党と政府と首都を押さえ、シラク氏は盤石の布石を打ったと思われた。その矢先、バラデュール氏が大統領選出馬を表明したのだ。

 さらにシラク氏が目をかけてきた党の若手ホープで、首相府スポークスマンのサルコジ氏(後の大統領)も「私は首相の側につく」とシラク氏と決別する。相次ぐ側近の裏切りにシラク氏は孤立し、支持率も低迷した。大統領の座は遠のいたように見えた。失意にあったシラク氏に立ち直りのきっかけを与えたのが日本だった。大統領選まで1年を切った94年初夏、シラク氏は休暇をとって単身来日して、「東京から2時間のところの、山の中腹にある旅館」にこもった。同氏が常宿にしている箱根の老舗旅館である。

 後にシラク氏は12年の大統領ポストを終える前、フランスのジャーナリストとの7カ月にわたるインタビューの中で、この時のことを詳しく語っている。それを踏まえ、ジャーナリストはこう書いている。

「メディア政治の裏切りと腐臭を遠く離れ、シラク氏はいつものお気に入りである畳の上に直に横になり、障子や日本風呂を愛(め)で、懐石料理に舌鼓を打った。青空の下、近くにある彫刻美術館にも足を運んだ」

 この滞在がもった意味について、ベルナデット夫人もインタビューでこう述べている。

「修道院のように世俗から隔絶したあの日本の日々が、夫の大統領当選の原動力になりました。滞在中、夫は一人考え、書きものをして過ごしました。フランスのように周囲の目を意識する必要もなく、孤独の重さをズシリと受け止めたはずです。あそこから夫は立ち上がりました」

 日本から戻ったシラク氏は、パリ中心の見た目に華やかな集会や演説会を止め、地方を丹念に回り、人々と地道に交わる運動に切り替えた。そして大統領選まであと2カ月という95年2月、世論調査で初めてトップに立ち、そのまま大統領選になだれ込んで勝利を手にした。シラク氏は「あの地方回りが奏功した」と振り返るが、日本滞在が自分を客観視し、運動戦術を転換するきっかけとなったのである。

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