青木理氏が批判する「歴史修正主義」って何が問題?

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 左派が右派を批判する際、あるいは現政権を批判する時に頻出するキーワードが「歴史修正主義」だ。

 テレビのコメンテーターとしてお馴染みの青木理氏は、しばしば安倍政権に対してそうした言葉を用いて批判を展開している。青木氏によれば日韓関係の悪化も「歴史修正主義者」が政権を担っていることが原因なのだという。

 また、9月11日に発足した第4次安倍改造内閣について論評した韓国のハンギョレ新聞社説もまた「歴史修正主義」という言葉を用いて懸念を示している。

 しかし、ここで素朴な疑問がわかないだろうか。

 あれ? 「修正」って悪いことなの?

 本来、日本語の「修正」とは「間違ったこと、不適切なところを正す」という意味。写真の「修整」ならば、シミのように不本意なところを“隠す”という意味になるが、「修正」にはそうした意味はない。なのになぜ懸念や批判の対象になっているのか。

 実は「歴史修正主義」という言葉は2種類ある、と解説するのは有馬哲夫・早稲田大学教授だ。公文書など第1次資料をもとに様々な歴史の新事実を掘り起こしてきた有馬氏だが、「歴史修正主義」者だと批判されたこともある。有馬氏はこの「歴史修正主義」の問題について、自著『こうして歴史問題は捏造される』で次のように述べている(以下、引用はすべて同書より)。

「『歴史修正主義』には大きくいって二つあります。一つはいい意味で使い、もう一つは悪い意味で使います。いい意味の方は、それまでの定説を新しい歴史資料や解釈などによって覆し、修正するというものです。(略)

 歴史研究者は、それまでの定説をただ繰り返すだけでは存在意義がないので、新資料や新解釈によって、これまでとは違った歴史の見方を示そうとします。これはいい意味での『歴史修正主義』です。

 その事実が重大重要な歴史的事件(たとえば日米開戦とか日本の降伏とか)にかかわるものの場合もあれば、そんなに重要ではない歴史的事実の場合もあります。歴史研究者たるもの、当然ながら、重大な歴史的事件の重要事実に関して定説を覆したいと思っています」

 ここまでの説明は「修正」の本来の日本語の意味に近いので、わかりやすい。が、問題は全く別のニュアンスの用法があるという点だ。

「中国、韓国、ロシア、アメリカがドイツや日本などを『歴史修正主義』と批判する場合、ドイツや日本にとって都合の悪い歴史的事実を否定したり、その解釈を捻じ曲げたりしていると彼らが思っていることを指しています。

 ドイツの場合ですと、第1次世界大戦の原因を他国に求めるとか、ナチスによるホロコーストの数を少なく見るとか、あったこと自体を否定するとかが『歴史修正主義』の例になります。日本でいえば、日本は、侵略戦争はしていないとか、南京で虐殺事件はなかったとか、慰安婦などはいなかったと主張することになります。

 とくに中国やロシアのような旧共産主義国ですと、これに別の『修正主義』の意味が加わります。つまり、マルクス主義の原則である階級闘争やプロレタリアート独裁などを修正したり否定したりすることです。これはかなりネガティヴな意味で使われ、このレッテルを貼られると異端とみなされてしまいます。(略)

 中国やロシアが日本を指して『歴史修正主義』と非難するときは、この『修正主義』のニュアンスを含んでいるようです。(略)

 アメリカでは政府の公式見解にとって都合の悪い歴史的事実を明らかにする歴史研究者も『歴史修正主義者』と呼ばれることがあるということです。その代表格がガー・アルペロヴィッツです」

 このアルペロヴィッツという人物は、アメリカの原爆投下についての新しい見方を示した研究者だ。原爆投下は終戦を早めるためではなく、連合国同士の協定を無視してひたすら支配地を広げるソ連への威嚇といった意味があったということを、膨大な第1次資料による裏付けとともに明らかにしたのだ。これは「原爆投下は終戦を早め数十万のアメリカ兵の命を救うためだった」というアメリカ政府の公式見解を否定するものだった。それゆえに、「歴史修正主義者」と呼ばれているのだという。

 このように、「歴史修正主義」という言葉にはいくつかの意味があり、本来、必ずしも悪いこととは言えない。

 しかしながら、現在ではネガティヴなニュアンスで使われることが多いのも事実。

 開戦の経緯、虐殺事件の人数や経緯、慰安婦の人数や採用の経緯といった細部についての検証・議論をしようとすると、感情的になる人が現れて、「歴史修正主義を許すな」となることが多い。

 青木氏やハンギョレ新聞もそのスタンスに近いと言えるだろう。問題は、この言葉が安易なレッテル貼りに使われやすい性質を持っているということかもしれない。彼らが「歴史修正主義」という言葉を用いる場合は、「大日本帝国の罪を認めないトンデモない奴ら」という意味である。そして、少しでも彼らが認める歴史とは異なる認識を述べると、この言葉を用いて激しく非難をしてくるというわけだ。

 自身、先の戦争についての著書がそうしたレッテル貼りの被害にあった経験を持つという有馬氏はこう嘆く。

「私は新資料の発掘によってそれまでに確立していた定説や見方を覆しますが、それは日本および自分のイデオロギーを正当化することを目的としたものではないので『歴史修正主義者』ではありません。(略)

 私が『歴史修正主義者』と呼ばれるとすれば、アルペロヴィッツがそうであるのと同じ理由からそう呼ばれるのだと思います。つまり、ある国が公式見解としていることを覆すということです。ただし私の主張は、アメリカだけでなく中国、韓国、ロシアも不都合だと思っているようです。(略)

 外国の政府がそう思うのは、わかるのですが、日本人で、これら外国政府と同じく、『歴史修正主義者』という非難(本人たちは非難する意味で使っているので)を私に浴びせる人がアマゾンの評者の他にもいるのですが、こういった人はいったい自分をどこの国の人間だと思っているのだろうと不思議に思います。

 私以外でも『歴史修正主義者』ではないのにこのレッテルを貼れる人は多くいます。評論家にも政治家にも多くいます。とくに中国、韓国、ロシア、アメリカは、日本が反日プロパガンダでゆがめられた歴史認識を正そうとすると『歴史修正主義』とレッテルを貼ってこの動きを妨げようとします」

 当然のことながら、歴史を勝手に捏造するようなことはしてはいけないし、事実に目をつむるのも好ましくはない。しかし、そういうことをするのは日本人に限った話でもない。また日本人にせよ隣国の人たちにせよ自国の歴史を検証することが禁じられているわけではない。根拠なしに自国の歴史を美化することや、他国を貶めることは避けるべきで、その際に必要なのは冷静に事実を押さえていくことだ、という点に異論を挟む人はいないだろう。

 左右いずれの立場にせよ、レッテル貼りは生産的な議論を生まないことだけは確かなのではないだろうか。

デイリー新潮編集部

2019年9月30日掲載

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