茂木外相、河野防衛相…内閣改造ではっきり分かった首相候補の必須科目は“外交と防衛”

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 安倍晋三首相の自民党総裁としての任期はあと二年。ポスト安倍の行方に注目が集まる中で、令和の御代となって初めての内閣改造が断行された。総裁任期延長によって令和三(二〇二一)年九月以降も安倍が続投する可能性も取り沙汰されているが、今回の改造ではポスト安倍と目される人物が登用されたことが特徴だろう。岸田文雄は自民党政務調査会長に、菅義偉は内閣官房長官にそれぞれ留任、加藤勝信は厚生労働大臣に再登板、小泉進次郎は環境大臣として初入閣を果たした。

 ここで注目したいのは外務大臣(茂木敏充)と防衛大臣(河野太郎)、どちらにもポスト安倍といわれる人材が据えられたことだ。外務防衛両大臣に総理大臣候補が同時に座ることは、かつては考えられなかった。

 田中角栄が「首相の条件」として、外務大臣、大蔵大臣(現在の財務大臣)、通商産業大臣(現在の経済産業大臣)のうち二つ、自民党で幹事長、総務会長、政調会長のうち幹事長を含む二つの経験を挙げたとされる。外務大臣は重要閣僚だという認識は、いまも昔も一貫しているといえよう。さらに遡れば、戦後しばらくは職業外交官そして外務大臣の経験を持つ首相が、幣原喜重郎、吉田茂、芦田均と続いた。外務副大臣も務めた茂木敏充は、かねてより外務大臣への就任を希望していたと伝わるが、それは同ポストのこうした重要性を踏まえてのことだろう。

 一方で防衛大臣(及びその前身である防衛庁長官)を経験して総理大臣となったのは、僅かに中曽根康弘と宇野宗佑だけであり、五十五年体制下では典型的な伴食大臣(伴食は唐代の故事にちなむ)と考えられていた。民主党政権では、一川保夫、田中直紀に対して、続けざまに参議院で問責決議が可決された。一川は安全保障の素人と述べて憚らず、田中は国会審議中に行方をくらました。議員食堂でコーヒーを飲んでいたという。

 だが近年こうした流れは大きく変わりつつある。安倍が総裁候補として育成しようと稲田朋美を防衛大臣に抜擢したのはその表れであろう。重要閣僚への登用によって、安倍は稲田に経験を積ませようとしているのだという受け止めが広がった。結果的には「南スーダンPKO日報問題」への対応から稲田は辞任に追い込まれたが、防衛大臣の政治的重要性が高まっていることに変わりはなかった。そして今次の河野太郎の防衛大臣就任である。ポスト安倍育成に向けて安倍は、防衛大臣ポストを再び用いたといえよう。

 安倍自身が防衛省自衛隊の地位向上に極めて自覚的だ。防衛庁が省昇格を果たしたのも第一次安倍政権でだった。トップである長官が国務大臣であるにもかかわらず、防衛庁の位置付けは総理府の外局(省庁再編後は総理府の後身である内閣府の外局)に過ぎず、事務次官はかつて大蔵省や警察庁出身者の指定席であり、官庁としての形式的な独立性に問題があったのだ。

 グローバル・スタンダードに照らしても奇異であった。国防担当の官庁が省(ministry)ではなく通常は執行機関を意味する庁(agency)だという例は諸外国には見当たらず、自衛隊の国際的活動が増す中にあっては、一刻も早い改善が求められていた。他国の軍人や外交官に、日本の国防当局がなぜ庁なのかを説明するのは至難の業だったが、省昇格によってこうした無用の労苦は必要なくなった。

 栄典においてもそうだ。制服組トップである統合幕僚長(及びその前身である統合幕僚会議議長)には、従来の瑞宝重光章(かつての勲二等瑞宝章)よりも高位の瑞宝大綬章(かつての勲一等瑞宝章)が授与されるようになったが、これも安倍の意向だという。国家に生命を捧げる自衛官のトップだった者を相応に礼遇するのは、国家として当然であり、自衛官の士気向上にも資することだろう。

 政策プロセスにおける存在感も増している。防衛省は、外務省、財務省、経産省、警察庁、総務省と並んで事務担当の総理秘書官を官邸に送り込むようになっているが、一強とも称される安倍官邸との強いパイプは、他省庁からすれば垂涎の的といえよう。また河野克俊前統幕長に対する安倍の信頼は篤く、定年は三度も延長された。統幕長が官邸に頻繁に足を運び、首相と安全保障について虚心坦懐に語り合う姿は、かつてでは考えられなかった。時代はよい意味で変わった。

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