日本一小さな村「青ヶ島」が外国人観光客に大人気 人口170人の島は大混乱…

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日本語ができない混乱

 青ヶ島の島民(あるいは青ヶ島村の村民ともいえる)にとっては、観光特需に沸いた形だ。が、それを手放しで喜んでいる訳ではなさそうだ。人口はおよそ170人、島内の小中学校の生徒数は10人ほどという、高齢化と過疎化が進む地方自治体。信号機は1機あるが「子どもたちが“東京”に出た時に備え、見方を覚えるため」(前村長の佐々木宏さん)に。そんな島だから、日々の生活で精いっぱいなのである。

 その苦労は、たとえば言葉の壁に現れている。

「青ヶ島は東京や京都と並んで有名だ、と宿泊予約などの準備をせずに島を訪ねる外国人の方がいます。島内での彼らの唯一の交通手段はレンタカーですが、保険のことなど、細かい日本語の説明が伝わらない。日本人の通訳が同行している人か、よほど日本語堪能な人でないと、正直、利用は厳しいですね」

 というのは、村の青年リーダー的存在の荒井智史さん(38)だ。進学のために1度島を出た後に“島が忘れられなくて”戻ってきたという、若手では珍しい経歴の持ち主である。村唯一のガソリンスタンド、レンタカー屋、食品店を経営するほか、週末には島の子どもたちに島の伝統芸能「還住太鼓」を教えている。

 荒井さんが注意を促すのは、それが命の危険につながるからに他ならない。

「島の天気は変わりやすく、天気が晴れていたかと思いきや、突然、暴風が吹いたり、大雨が降ったりする。風が強すぎて窓ガラスが割れる、自動車が“浮く”ということは、普通にここでは起きます。生きることが戦いです」

 私の滞在中も「大雨ですから、港に近づかないでください」との村内放送がひんぱんに流れていた。荒井さんの言う事はよくわかる。生活に必要な医療品や石油は、毎週金曜日に東京・竹芝から船便で運ばれてくるが、これも波の状況によっては中止になるから、必ずではない。文字通りの“生命線”、ヘリポートと港の様子はリアルタイムで中継され、各家庭のテレビから視聴できる。このほか、毎年10月には、島民総出で「火山噴火」「大地震」を想定した避難訓練を1日かけて行うそうだ。いかに自然災害と隣り合わせで暮らしているかが伺えるというものだろう。

 言葉が分からない危険性については、村役場の小林さんもこう語る。

「日本語が分からない外国人の方が、村内放送を理解しないと危険です。たとえば、台風が来て大波に巻き込まれたら……。嵐の夜に、届け出なくキャンプされてしまうと、こちらとしても止めようがありません」

 幸いなことに、まだ外国人観光客の事故は起きていないというが……。

 彼らと直に接する、島内の宿も大変だ。島内には5件の宿があるが、いずれも英語を含め、外国語での応対はできない。日本語が話せないと、予約することすら難しい。先に紹介した元村長の佐々木さんは、民宿「マツミ荘」のオーナーでもある。

「通訳がいないと、何を言っているのかさっぱり分からないよ……。昨年だったかな。フランス人観光客が泊まりに来て苦労しました。つい最近は、ドイツのテレビ局が“絶景”を撮影しにやって来ましたよ。この時は日本語を話せる美人のドイツ人レポーターがいてくれたから、助かった。森の奥地にある“神木”の大杉を案内しましたよ」(佐々木さん)

 これはプロの演歌歌手としての顔も持つ、サービス精神旺盛な佐々木さんだからこそできる対応かもしれない。基本的に、各宿を営んでいるのはご夫婦か単身者で、かつ農業や酪農を“兼業”している。村人の大半が畑を所有していて、半分「自給自足」の暮らしをしている。

 たとえば民宿「中里」を経営している菊池正さんの場合、民宿に農業、酪農、そして島の植物「オオタニワタリ」と地元のさつま芋からつくる「青ヶ島焼酎」製造の4つの仕事に携わる。

 朝5時に起きて、宿泊者用の朝食を準備しつつ、すこし畑の手入れ。8時には鶏の世話、卵の収穫とあわせ宿の業務。午後からはふたたび畑に出て、かぼちゃやスイカ、青酎の原料となる芋のお世話だ。夕方には牛に餌をやって……を繰り返す日々を送り、さらに11月頃には、青酎の仕込みの仕事もこなさなければならない。多岐にわたる仕事を分刻みでこなしていく菊池さん、これだけの働き者ながら、御年73というから驚きだ。

 そこへ、これまでは少なかった外国人の観光客が宿を利用するとなれば、苦労は察するにあまりある。

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