映画「新聞記者」がヒットした背景 国民には理解しがたい制度を持つ“マスコミ不信”

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 映画『新聞記者』(藤井道人監督)がヒットしている。東京新聞・望月衣塑子記者(43)の同名著書を原案にした社会派サスペンスだ。主人公・吉岡エリカ(シム・ウンギョン)は記者クラブ内の同調圧力に屈しない記者。望月記者も官邸記者クラブ内で波風が立つことを怖れずに活躍してきたから、2人を重ね合わせて拍手を送る人もいる。だが、そもそも記者クラブという制度自体が時代に合っていないのではないか?

 映画『新聞記者』は国家の陰謀を描いている。吉岡エリカ記者ともう1人の主人公で内閣情報調査室官僚の杉原拓海(松坂桃李)が、国の情報操作に関わっていた官僚の自殺の真相に迫る。

 架空の人物・吉岡記者は記者クラブ制度に頼らない。実在する東京新聞の望月記者も官邸記者クラブ主催の会見で菅義偉官房長官とたびたび対立するなどクラブ内に波風を立てることを恐れていない。両記者とも現行の記者クラブ制度に否定的な存在だ。

 とはいえ、両記者とも記者クラブを壊そうとまではしていない。国民の知る権利を最優先に考えると、そろそろ記者クラブ制度の廃止を訴える声が内側から上がり始めてもいいのではないか。

 記者クラブ批判は古くからある。

「取材対象との癒着を招きやすいことなどの批判もある」(百科事典マイペディア 平凡社)。よく聞く記者クラブ批判だ。あながち的外れではないだろう。

 記者クラブの記者と取材対象の広報担当者は連日のように顔を合わせる。記者は広報担当者に取材をアレンジしてもらったり、資料をもらったりして記事を書く。世話になっている広報担当者をあまり困らせたくないという感情が記者側に生じても不思議ではない。

 あまたある記者クラブによって体質に違いはあるが、「クラブ記者を懐柔するのも仕事のうち」と言って憚らない広報担当者もいる。一方で、取材対象の組織内で不祥事が起きた際、どういう形で報じたらダメージが少ないかを広報担当者に助言するクラブ記者もいるという。どちらも知る権利を持つ側にマイナスなのは言うまでもない。

 国際的にも記者クラブの評判は極めて悪い。その理由の一つは、原則的に新聞社・テレビ局・通信社の記者しかクラブには入れないので、多様な情報、意見を伝達しにくくしているということだ。また、どの会見も原則的に記者クラブが開いているので、クラブ記者以外は参加できないか、制限がある。毎日2回行われている菅官房長官の会見の場合、ネットメディアやフリーランスなどの記者が参加できるのは週1回のみだ。

 テレビ局の停波に結び付く放送法4条の廃止を政府に勧告している国連デービッド・ケイ特別報告者も2017年6月の時点で記者クラブ制度への強い懸念を示し、こう声明した。

「記者クラブ制度があることにより、多くのジャーナリストが(情報を得るために政府機関の歓心を買おうとする)アクセス・ジャーナリズムに焦点を当ててしまう。クラブのメンバーであれば政府の省庁役人に対するアクセスを持つこともできるし、政府の説明にもアクセスを持つことができる。政府による物語、説明をジャーナリストが発表するということになるわけだ。ということは、ジャーナリストが厳しい調査報道をする能力に影響が出る。それは記者クラブ制度でアクセスを持つことができるから、どうしても力が弱くなってしまう。そしてまた独立した声を排除することになってしまう。大手のメディアにつながっていない声が外されてしまうということになる」(産経ニュース2017年6日2日配信より)

 日本新聞協会編集委員会は記者クラブについて、「公的機関などを継続的に取材するジャーナリストたちによって構成される『取材・報道のための自主的な組織』」との見解を2002年に発表した。

 とはいえ、新聞協会に加盟できない雑誌、ネットメディア、フリーランスの記者の場合、いくら継続的に公的機関を取材していようが、記者クラブへの加入は許されない。

 それだけではない。大新聞やテレビ局、通信社の記者はすべてのクラブに加入が可能だが、そうでないスポーツ紙や夕刊紙は新聞協会加盟社でも記者クラブによっては入れないことがある。「クラブ総会」による多数決によって断られるのだ。これでは特権階級である。

 行政機関や企業に情報公開が強く求められている時代でありながら、取材・報道する側の制度は閉鎖的なのだから。矛盾と言わざるを得ないだろう。

 また、ケイ氏の指摘どおり、「ジャーナリストが厳しい調査報道をする能力に影響が出る」という面もあるだろう。事実、近年の「厳しい調査報道」の多くは、記者クラブから排されている雑誌から生まれている。

 たとえば、前財務事務次官のセクハラ問題を報じたのは「週刊新潮」2018年4月19日号だし、片山内閣府特命担当相(60)が2018年秋、政治資金収支報告書の訂正を余儀なくされたのは「週刊文春」同年10月18日発売号が端緒である。

 また、雑誌の場合、本人に疑惑などの真偽を確認するのが一苦労だ。政治家や官僚の会見に参加できないからである。会見参加を阻んでいるのも記者クラブ制度にほかならない。それでいてクラブ記者たちは会見で政治家や官僚に週刊誌報道について尋ね、記事にする。これも矛盾だろう。

 日本独特の制度である記者クラブの始まりは1890年(明治23年)。帝国議会が初めて開かれた年であり、この議会の取材を要求するため、新聞記者たちが「議会出入記者団」をつくったのがルーツ。つまり報道の自由を望んでつくられたわけなのだが、その後、後発メディアの報道の障壁となる一面を持ってしまったのだから皮肉だ。

 その記者クラブの中で望月記者は「野党」のような存在になっているらしい。首相官邸は2018年12月、官邸記者クラブに対して、文書を出した。望月記者の菅官房長官への質問には「事実誤認がある」ので、正確な事実を踏まえた質問を求めたのだ。これに対して官邸記者クラブ側は、「記者の質問を制限することはできない」と伝えたものの、クラブ内は一枚岩ではないようだ。

<官邸記者クラブのある全国紙記者は「望月さん(東京新聞記者)が知る権利を行使すれば、クラブ側の知る権利が阻害される。官邸側が機嫌を損ね、取材に応じる機会が減っている」と困惑する>

 共同通信が今年2月18日、この問題について加盟社に配信した記事内にある談話だ(のちに削除)。
 
 削除の理由は定かではないが、通信社が配信記事の訂正や削除を行うのは、よくあることなので、問題ではないだろう。ただし、この談話を口にした全国紙記者の存在は事実に違いない。「有資格者」たちの集まりである記者クラブ内でも深刻な軋轢が生じはじめた。やはり記者クラブ制度自体が、もう時代に合わないのだろう。

 記者クラブ制度が解消され、雑誌記者もネットメディア記者もフリーランス記者も政治家や官僚の会見に参加できるようになり、調査報道の成果を確認したりすることができるようになったら、知る権利の拡大につながるはず。映画『新聞記者』の中の吉岡エリカ記者は東都新聞の所属だったが、雑誌やネットメディア、フリーに転身しても不自由なく活躍が続けられる。

 日本新聞協会編集委員会が2002年に出した記者クラブについての見解には、こうある。

「記者クラブは、『開かれた存在』であるべきです」。

 ただし、その加入メンバーについてはこう書いてある。

「最も重要なのは、報道倫理の厳守です。日本新聞協会は新聞倫理綱領で、報道の自由とそれに伴う重い責任や、正確で公正な報道、人権の尊重などを掲げています。これらは、基本的な報道倫理です。公的機関側に一致して情報開示を求めるなど取材・報道のための組織としての機能が十分発揮されるためにも、記者クラブは、こうした報道倫理を厳守する者によって構成される必要があります」

 まるで新聞社・テレビ局・通信社のみが正当な報道機関であるように受け取れる。とはいえ、意地悪を言うようだが、つい最近、朝日新聞が7月9日朝刊1面トップ記事で「ハンセン病家族訴訟、控訴へ安倍首相が決定」と誤報を書いているのではないか。クラブ加盟の条件であるという「正確で公正な報道」はどうしたのだろう(実際には家族への差別被害を認め、国に賠償を命じた熊本地裁判決について政府は控訴を断念)。
 
 朝日の誤報については、まるで『新聞記者』を地で行くように、国が情報操作を行ったためと指摘する声がある。マスコミ人にすらそう解説する人がいる。

 ひょっとしたら、本当に陰謀があったのかもしれない。だが、誤報の真相を見えにくくしている一因も記者クラブというブラックボックスの存在ではないか?

『新聞記者』のヒットの背景には、記者クラブなど外部の人には理解しがたい制度を持つマスコミへの不信もあるに違いない。

高堀冬彦/ライター、エディター
1990年、スポーツニッポン新聞社入社。芸能面などを取材・執筆(放送担当)。2010年退社。週刊誌契約記者を経て2016年、毎日新聞出版社入社。「サンデー毎日」記者、編集次長。2019年4月退社、独立。

週刊新潮WEB取材班編集

2019年7月21日掲載

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