平壌で消えた金正日の料理人「藤本健二氏」 北朝鮮当局に身柄拘束されたとの情報も

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北の“中枢”を目撃した寿司職人

 2003年、藤本健二氏が、著書『金正日の料理人 間近で見た権力者の素顔』(扶桑社)を上梓すると、たちまち多くの注目を集めた。

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 テレビの報道・情報番組から引っ張りだことなった。頭にバンダナを巻き、サングラスを掛けて出演した姿をご記憶の方も多いだろう。そもそも藤本健二という名前はペンネーム。プロフィールも1947年生まれとしか明かしていない。

 寿司職人だったことから、82年に北朝鮮へ渡った。まだ金日成(1912~1994)が存命で、国の最高指導者として君臨していた時代。

 給料は50万円。現地で藤本の寿司は評価され、金日成の息子である金正日(1941~2011)のために握ることになったという。

 後に藤本氏は、金正日から「この魚は何か?」とマグロについて質問された時のことを振り返っている。食べ終えて満足した金正日は、藤本にチップを投げた。だが非礼な振る舞いだとして藤本はチップを拾わなかった。これが“気骨”の現れとして、金正日の目に留まる。

 89年に北朝鮮の女性と結婚し、1男1女の父となる。90年には朝鮮労働党員となり、朝鮮名「朴哲」も付与された。そして金正日の息子である正恩(年齢不詳)と正哲(37)の兄弟と「遊び相手」になるよう、金正日から直接、依頼されたそうだ。

 食材などを買い付けるため、たびたび藤本氏は日本に帰国していた。ところが96年に入国管理法違反で逮捕される。そして98年に北京を訪れた際、警視庁の幹部と電話。これが北朝鮮に盗聴されていたため、平壌に戻ると軟禁下に置かれた。

 いつ強制収容所に送られてもおかしくないという状況。そこで彼は2001年に北朝鮮を脱出。家族は現地に置き去りにした。こうして03年の自著上梓につながるというわけだ。北朝鮮情勢を取材する記者が言う。

「03年にマスコミへ登場してから、藤本さんは一貫して『後継者は金正恩』と断言していました。金正恩は1984年1月生まれと言われていますから、まだ20歳そこそこの時です。私たちマスコミの間では金正男(1971~2017)が後継者として有力と言われていたため、金正恩に注目する人間は少なかった。いかに藤本さんが北朝鮮の権力構造を冷静に分析していたかの証左でしょう。当然、日本政府だけでなく海外の、情報当局者の重要な情報源だったそうです」

 10年に金正日は金正恩ら6人を朝鮮人民軍の大将に昇進させた。更に正恩は党中央委員などに選任され、ここに父から子への“権力委譲”が決定的なものになった。

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