熊殺し「ウィリー・ウィリアムスさん」死去 本人が語った引退後の“木彫り職人”生活

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 極真空手の創始者、大山倍達は、牛を素手で倒したという。だが、さすがにヒグマと闘った格闘家はこの人くらいである。空手の世界で“伝説の男”と言われるウィリー・ウィリアムス(64)。16年前にリングから引退したが、意外や意外、木彫り職人になっていた。

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 ウィリーが“熊殺し”との異名を取るようになったのは、映画『地上最強のカラテPART2』(76年)で、巨大なヒグマと闘ったことがきっかけであった。

「当時、極真空手を世界に浸透させるため、ある種の神秘性が必要でした。そこで猛獣と闘わせたのです」(スポーツライターの布施鋼治氏)

 彼は8歳でストリートファイターになり、極真会館の米コネチカット支部に所属。大山倍達に最も信頼された大山茂に師事した。

 それにしても体長2メートル45センチ、体重320キロのヒグマに挑む姿は、今観ても驚くばかりである。80年2月には、格闘技世界一決定戦でアントニオ猪木と対戦し、引き分けに終わったが、試合の緊迫感は猪木対モハメド・アリ戦以上と言われた。ウィリーが述懐する。

「熊と闘うシーンを撮影した時は、一発勝負なので大変だったよ。スタッフは熊を見た途端、逃げ出してね。皆、怖がって狼狽(うろた)えていた。僕にも恐怖心はあったが、僕の方がパワーがあると思っていた。だから熊を制することができたのさ。猪木は素晴らしいファイターだ。彼はトリッキーでたくさんのスキルがあった。もっとも、僕の方がスタミナはあったと思うがね。日本人や日本文化も好きだが、日本食が何より大好きだ。最近はあまり食べられないので、日本食が恋しいね」

49歳で引退

 91年6月には、空手家の佐竹雅昭と対戦し、会場は超満員になる盛況ぶりで、K-1発足の礎となった。

「引退したのは2000年、49歳の時です。昔より劣るファイトをして恥をかくようなことはしたくない。歳をとり始め、身体にダメージを与えたくないと思ったからさ」(同)

 空手家として忙しくなる前は、バス運転手をしていたという。現在は、ノースカロライナ州の人里離れた自然の中で暮らしているそうで、

「12年から体調維持のため自転車に乗っています。また、昔からアートにも興味があって、02年から本格的にアートワークを始めました。具体的には、杖に取り付ける狼や熊の形をした木彫りの持ち手を作っています。最近はネックレスを作ることもある。作品はニューヨークやアトランタで売られています。自転車が自分の自由な世界とすれば、アートは人々をハッピーにできる世界。僕は、今、この二つの世界でバランスのとれた生活を送っています」

 空手家と木彫り職人。百八十度違う世界で生きるウィリーは、失礼ながら少々変わり者なのかもしれない。

「空手のコーチは時々やっています。昨年、日本で行われたワールドユース空手道選手権に出場したクリスチャン・バッファローは僕の教え子だ。将来は偉大なファイターにしたい」

 ウィリーにとって、師であり、父親同然の存在だった大山茂氏が、先月15日に亡くなったそうで、

「これからは空手のトレーニングに戻るかもしれません。大山先生は、僕に大きな影響を与えてくれた。本当に感謝しています。先生から学んだ空手の知識やテクニックを、後世に伝えていかなくてはならないと思うからね」

 ヒグマと闘ったのは、かれこれ40年前。再び熊と一戦交える空手家を育てることができるか。

週刊新潮 2016年3月17日号掲載/2019年6月15日再掲載

「60周年特別ワイド 輝ける明日への遺言」より

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