「なつぞら」おんじ役で再ブレイク! 草刈正雄が語る「極貧生活」「芸能界デビュー」

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モデルなら月5万円

 もちろん売れない時もあって、そんな時は心底切なくなる。独りで団地を延々と歩くうち、苦しさから逃れようと喫茶店でサボるようになって、いつしかそれが癖になってしまった。結局、給料も減って1万円を切ることもありました。

 それで今度は文具の卸売会社で配達をしたり、駅前のスナックで働くようになったんですが、まだ16歳でしたから、厨房でスルメを焼いたり焼き飯を作ったり。僕は野球が好きだったので、昼間働いた後に定時制の授業に出て、放課後は軟式野球の練習をナイターのグラウンドでこなし、その後にスナックで働く。少しだけ寝てまた昼は仕事という毎日を繰り返していた。

 そんな時、たまたま働いていたスナックのマスターからこう言われたんです。

「正雄は見てくれが良いからさ、モデルになった方がたくさん稼げると思うよ」

 モデルなら月5万円稼げる。そう言われたらやってみようと思っちゃった。

 それでマスターからモデル事務所を紹介して貰ったのが、この世界に入ったきっかけです。けれど、福岡では男性モデルの仕事は少ない。だったら上京した方がいいとなって、改めて東京のモデル事務所を紹介され、ようやく4畳半1間から出られることになった。

 そう、大阪万博の年だから70年。上京後すぐ、資生堂が男性化粧品ブランドとして初めて発売した「MG5」のCMに起用されたのが幸いしましてね。テレビドラマのオファーも受けるようになって、74年には映画デビューも果たしました。

〈赤貧洗うが如き環境という若き日々の試練から脱した草刈は、日本人離れした甘いマスクと185センチを誇る長身、加えて軽妙な語り口でお茶の間の注目を集め、モデルデビューから僅か2年後、とんとん拍子に俳優への道を拓く。だが、自らの不注意で再びの試練に見舞われたと、当の草刈は振り返る。〉

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