「なつぞら」おんじ役で再ブレイク! 草刈正雄が語る「極貧生活」「芸能界デビュー」

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便器工場、訪問販売…

 僕は1952年に福岡県の行橋(ゆくはし)市で生まれ、物心つく前に小倉(北九州市)に引っ越してきました。父親は日本に駐留していたアメリカ兵でしたが、朝鮮戦争で亡くなったと聞かされ、上京する17歳までお袋と2人暮らし。女手一つで育てられましたが、自宅は家賃3千円で一軒家の2階、4畳半1間を間借りしていたんです。さすがに狭かったですから、中学、高校と進むにつれ早く家を出たい。そう思う気持ちが強くなっていきました。

 なので、人より自立心は旺盛だったと思いますね。中学生の時は3年間、新聞配達のアルバイトをやって、卒業後は便器を製造する工場に就職したんです。高校は県立小倉西高校の定時制に通って昼間は仕事をしていたんですが、実は勤め始めて僅か3、4日でクビになりまして……。些細なことで社内でケンカをしてしまい、“喧嘩両成敗”ということで相手も私も辞めることになったのです。私は入ったばかりだったから構わないけど、相手の方には気の毒なことをしましたね。

 で、次に始めたのが訪問販売の仕事です。世界文化社が発行する書籍を大きなバッグに詰めて、一軒一軒回りました。玄関先で「こんな本がありますがどうですか」と言って歩き回るのですが、こちらも好奇心を持ち面白いと思って口説けば結構売れるんです。

 給料は歩合制でしたが最初の月は4万円も貰った。当時の大卒サラリーマンの初任給と同じくらいでしたから、嬉しくてお袋にお金を渡した記憶があります。

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