トランプを感激させた宮中晩餐会「誰に対しても平等に、最高のものでもてなす」皇室の一貫した姿勢

社会2019年5月28日掲載

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 トランプ大統領夫妻を歓迎する宮中晩餐会が27日夜、招待客165人が出席して華やかに開かれた。

 男性はタキシード、女性はロングドレスで盛装した日米両国の招待客たちは、定刻までに宮殿「春秋の間」に集まり、食前の飲物を口にしながら、そのときを待った。午後7時、トランプ大統領夫妻が天皇、皇后両陛下の出迎えを受けて宮殿・南車寄せに到着した。

「春秋の間」の招待客たちは順次、名前を呼ばれて「石橋(しゃっきょう)の間」へ移動し、招待客一人一人、両陛下と大統領夫妻の前に進み出て謁見し、あいさつした。午後7時半すぎ、招待客が「豊明殿」で待つなか、両陛下と大統領夫妻が入室して着席した。

 天皇がおことばを述べ、終わると米国歌が演奏され、一同は乾杯。続いてトランプ大統領が答礼のスピーチをし、終わると君が代が演奏され、再び乾杯。続いて食事に移った。

誰に対しても平等に、最高のものを

 日本にとって最も大事な同盟国の大統領だから特別のものが出されるのではないかと、私は事前に幾つかのメディアから聞かれた。「米大統領だからといって格別のものを出すことはしません」と答えた。皇室は「誰に対しても平等に、最高のものでもてなす」を原則としているからだ。小国であろうと、大国であろうと、これは変わらない一貫した皇室の姿勢である。
 メニューは次の通りだった。

 清羹
 平目牛酪焼
 牛背肉焙焼
 サラダ
 アイスクリーム(富士山型)
 果物

 ピュリニー・モンラッシェ 2002年
 シャトー・ラフィット・ロートシルト 1996年
 モエ・エ・シャンドン ドン・ペリニヨン 1999年

 宮中晩餐会はフランス料理にフランスワインが定番である。清羹はコンソメスープ。次が舌平目のムニエル。主菜は背肉のステーキ。背肉は柔らかく細かい肉質で、サシも適度に入り、ステーキに最適といわれる。主菜の付け合わせのサラダの後は、いつもの富士山型アイスクリーム、そして果物。

 宮中晩餐会は2008年から、高齢の天皇、皇后(現在の上皇、上皇后)の負担を減らすため料理を1品減らした。それまではスープと主菜の間に魚介と肉料理を出していたが、いずれか1品とした。

 ちなみに前回、国賓で来日した米大統領は2014年4月のオバマ大統領だったが、このとき主菜は〈羊もも肉の蒸し焼き〉だった。牛肉になったのは、トランプ大統領のステーキ好みを勘案してのことだったと思われる。

「アルコールは飲むな」という兄の遺言

 ワインは、白が仏ブルゴーニュ地方の銘醸地で知られるピュリニー・モンラッシェ村で造られたワイン。ここには最高のグラン・クリュ(特級畑)が4区画、それに次ぐプルミエ・クリュ(1級畑)が17区画ある。生産者名がメニューに記載されていないから分からないが、「誰に対しても最高のものを」との原則からすればグラン・クリュであることはほぼ間違いないだろう。

 赤のシャトー・ラフィット・ロートシルトは仏ボルドー地方の最高級5大シャトーの一つ。そして乾杯とデザートに出されたシャンパンは祝宴用のドン・ペリニヨンだ。

 残念ながらトランプ大統領はアルコールを一切口にしないから、この素晴らしいワインの味を知ることはなかった。大統領は若き日、兄がアルコール中毒で苦しむのを間近に見ている。兄が亡くなる前、弟のドナルドに「アルコールは絶対飲むな」と遺言した。大統領はアルコール類、タバコはやらず、米国民なら手を出すことも珍しくないマリファナやドラッグもやったことがない。この面では謹厳実直だ。

 食事の間、「豊明殿」の一角で日本と米国の曲が演奏された「わらべ歌」など日本の歌のほか、「シンコペイテッド・クロック」(L・アンダーソン作曲)、「野ばらに寄す」(E・マクダウェル作曲)、「虹の彼方に」(H・アーレン作曲)など、アメリカ民謡などだった。

歩みを引き継いでいく決意

 興味深かったのが、食事に先立つ天皇の歓迎のおことばだ。日米両国の歩みを1854年の日米和親条約から振り返ったのは珍しくないとしても、祖父母である昭和天皇と香淳皇后、両親である上皇と上皇后、そして自分と皇后の、3世代の米国とのかかわりを歴代の米大統領5人の名前を挙げてたどったのが注目された。先ごろ上梓した『皇室はなぜ世界で尊敬されるのか』でも触れたが、ここには祖父母と両親が戦後築いた米国との太い絆を、自分と皇后が引き継いでいくのだとの決意が込められていたように思われた。

 昭和天皇と香淳皇后について――私の祖父である昭和天皇は、香淳皇后と御一緒に、1971年、御即位後初めての外国御訪問の途次に立ち寄られたアラスカにおいて、ニクソン大統領御夫妻より、そして1975年に御訪米をされた折には、フォード大統領御夫妻より、それぞれ歓迎をいただきました。

 上皇と上皇后について――私の両親である上皇、上皇后両陛下も、皇太子時代の1960年に初めて貴国を公式訪問された折には、アイゼンハワー大統領御夫妻はじめの歓待を受けられたほか、御即位後の1994年には、国賓として、クリントン大統領御夫妻をはじめ貴国の国民から手厚くおもてなしいただいたと伺っています。

 そして自分の米国に対する最初の思い出は10歳だった1970年、大阪万博で月の石を間近に見たことや、水上飛行機シリウス号の操縦席にチャールズ・リンドバーグ飛行士に乗せてもらったことだと述べた。1985年に英国留学の帰途、長期滞在したときにはレーガン大統領から温かく迎えられたこと、また皇后も幼少の時期をニューヨークで過ごし、高校、大学とボストン郊外で過ごしたことに触れ、「私どもは貴国に対し、懐かしさと共に、特別の親しみを感じています」と語った。

過度に過去にとらわれない

 おことばのもう一つの特徴が未来志向だった。先の大戦については「日米両国とその国民は、様々な困難を乗り越え……」と触れただけで、それよりも両国の幅広い分野の関係を祝福し、とくに3・11での米国の「トモダチ作戦」について「私たちは決して忘れることはないでしょう」と述べた。

 このおことばには令和の皇室外交の方向性がにじみ出ているように思う。それは戦後の昭和、平成の皇室外交の積み重ねの延長にこれからの皇室外交はあるのであり、具体的には「脱戦後」「未来志向」「国際性」を特徴とすることだ。

 上皇、上皇后が平成の時代に天皇、皇后として、日本と戦火を交えた国の国賓を迎えた際のおことばには、ほぼ必ず「先の大戦では」「不幸な一時期において」という言葉が入った。今回の天皇の「様々な困難」という言葉には、先の大戦だけでなく、日米両国間にあった戦争前のさまざまな行き違いも含められている。ここには過度に過去に囚われることなく、むしろ未来に向けて一緒に歩いていこうという、新しい世代である新天皇の世界観が映し出されているように思われる。もちろん歴史を軽視するのではない。天皇は上皇、上皇后が戦争の犠牲者の慰霊を続けたことにも言及しており、自分もこれを継承することを明らかにしたと思われる。

 トランプ大統領は答礼スピーチで、令和の始まりを祝福し、「大切に育まれてきた絆を我々の子孫のために守っていく」と述べた。

 食事が終わったのは夜9時。一同は春秋の間に移り、両陛下と大統領夫妻を囲み、食後の飲物を手にしばし歓談した。大統領夫妻が両陛下に見送られて宮殿を辞したのは9時40分。黒々とした皇居の森の木立の向こうに、大統領夫妻と随行の車列のテールランプが消えて行った。(以上)

筆者・西川恵