不愉快な「CMまたぎ」が今も流行 それでも止めない民放テレビ局の見識

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「CMまたぎ」のない「探偵!ナイトスクープ」

 民放キー局の関係者(前出)も、「CMまたぎ」、「山場CM」には批判的だ。

「結局、視聴者の皆さんが“見たい!”と思ってくださる気持ちに、私たちがわざわざケンカを売っているのが『CMまたぎ』でしょう。私だって『衝撃映像』の引っ張りや、顔に『マル秘』のモザイクをかけてCMに入るのを見ると、反射的にイラッとします。ところが、民放全体で見ると、『CMまたぎ』は封印の傾向どころか、むしろ増えている気がしますね」

 ひどい例になると、CM前にネタを振り、CMが終わったにもかかわらず、そのネタに触れない番組すらある。そのネタは次のCM明けだったり、最悪のケースでは番組の最後だったりする。関係者は「私も『CMまたぎ』がテレビの視聴者離れの原因になっていると思います」と頷く。

「CMまたぎ」を止めさせるにはどうしたらいいか。参考になる動きが、アメリカで起きている。ここ数年、ネット広告の市場規模がテレビ広告を上回るようになっており、危機感を抱いた3大ネットワークのNBCが改革に乗り出したのだ。

 この挑戦を紹介したのが、「ITmediaビジネスONLiNE」が今年2月21日にアップした「テレビの『CMまたぎ』がなくなる日 “減らして効果を上げる”奇策とは」の記事だ。テレビ担当記者が解説する。

「同誌が“奇策”と書いたのも頷けます。何しろNBCはCMの量を10%、長さも20%短くしてしまったのです。CMの出稿量が減少して苦しんでいるのに、CMの放送量も減らしてしまうのですから、経営のセオリーとは真逆です。ところがゴールデンタイムの番組でCM料金の値上げに踏み切り、改革は成果を収めます。それも一律の値上げではなく、ゴールデン番組の開始前と終了後の1分間を『プライム・ポッド』と名づけ、これだけを75%アップの特別料金としたのです」

 例えば「ポツンと一軒家」(ABC制作、テレ朝系列:日・19:58~20:54)は5月12日に視聴率17・7%を記録した。この番組が始まる前の1分間と、終わった時の1分間は多くの視聴者が画面を見ているだろう。だから広告料を思いっきり値上げするわけだ。

 しかも全体のCM量は減らしているから、余計に目立つ。「ITMediaビジネスONLiNE」の記事によると、通常のCMは視聴率の記憶に65〜70%が残るというが、この「プライム・ポッド」は86%に達したという。

「同誌の記事には、『プライム・ポッド』でCMの好感度も38%向上し、CMで紹介された商品をネット検索する視聴者の数は39%も増えたと紹介されています。テレビ局、スポンサー、そして視聴者もメリットの大きな“改革”だということになります」(同・テレビ担当記者)

 日本のテレビ文化にも一社提供の番組がある。代表例は東芝が一社提供を行っていた「サザエさん」(フジテレビ系列:日曜・18:30~19:00)だろう。

「しかし今でも『キユーピー3分クッキング』(日テレ系列など:月~土・11:45~11:55)、出光興産の『題名のない音楽会』(テレ朝系列:関東は土・10:00~10:30)、日立グループの『日立 世界・ふしぎ発見!』(TBS系列:土・21:00~21:54)など、頑張っている一社提供の番組はまだあります。露骨なCMまたぎがなく、スポンサーの企業価値を高める、長寿・人気番組が多いのが特徴でしょう。『プライム・ポッド』もスポンサーを厳選する結果になりますから、日本で実施した際の参考になるかもしれません」(同・テレビ担当記者)

 アメリカでは「CMが消滅しても視聴者は苦痛を感じる」という興味深い“逆説”も明らかになっているという。アメリカのマーケティング情報サイト「DIGIDAY.com」の日本版は18年3月22日、「CMを削減して、視聴体験を高める米テレビ局たち:『テレビをもっと「デジタル」テレビらしく』」の翻訳記事を掲載した。

《NetflixとAmazonはコマーシャルがないため、人々は番組を続けざまにみるのが苦痛になり、広告のあるケーブルテレビに切り替える可能性があると、コンサルティング企業TVレブ(TVRev)の共同創設者でリードアナリストのアラン・ウォーク氏は指摘する。Huluでは、5400万人いる月間ユニークユーザーの約70%が広告付きオプションの有料会員だ。広告付きオプションでは、限られた量のコマーシャルが放映される》

 作詞家で作家の阿久悠(1937~2007)は、「UFO」(77年)の作詞や小説『瀬戸内少年野球団』(岩波現代文庫)で知られるが、明治大学を卒業してしばらくすると、広告代理店の宣弘社に入社。CMの絵コンテやコピーを書いていた。

 そんな経歴を持ちながら、いや、だからこそ、阿久悠はCMまたぎを嫌悪していた。産経新聞に連載していたコラム「阿久悠・書く言う」で04年11月27日、痛烈な批判を行っている。

《ぼくは感心する。(註:CMまたぎの)テクニックの巧妙さに対してではない。このテクニックが、今も効果を持っていると信じているらしい、底抜けの善意に感心するのである。

 もしこれが、人の心を信じる善意でないとしたら、どうせテレビの視聴者などはという、舐めきった態度で番組を作っていることになる。さて、どちらか。おそらく、「善意の自信」が2年3年の間に「軽視の過信」になったというのが実情だろう。

 ところでぼくは、「くわしくはCMのあと」「結果はCMのあと」「答はCMのあと」とオチョクラレながら、じっと詳細や結果や答を待ったことがない。

「CMのあと」といった途端に、ほぼ条件反射のように、リモコンの上を指が走り、チャンネルを切り替えてしまうのである。

 これも一種の、テレビの時代に生きる自己防衛の方法である。大仰ないい方をすると、思い通りになるものかと思うのは、人間の尊厳の守り方であり、意地の示し方なのである。そうでもしないと、テレビの思いのままに操られる愚者になってしまう》

 18年に30周年を迎えた「探偵!ナイトスクープ」(ABC制作、放送:金・21:17~0:12)は「CMまたぎ」を行わないこと番組の誇りにしているという。確かに依頼が紹介され、VTRがスタート。終わると出演者が感想を言い、オチがついてCMとなる。

 アメリカの動きを見れば、視聴者の要望は単純だと分かる。面白い番組とCMを普通に見たいだけなのだ。番組が一段落したら、素直にCMを流してもらう。それが視聴者には一番ありがたい。テレビ局がやってやれないことはないはずなのだ。

週刊新潮WEB取材班

2019年5月28日掲載

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