「桜田淳子」統一教会・合同結婚式参加で世間は仰天 キーパーソンは姉【平成の怪事件簿】

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昨年には35年ぶりのアルバムを発売

 淳子の夫となった男性(当時36歳)は資産家の出で、早大を中退した後、父がおこした魚網づくりの工場を継いだ熱心な信者だった。彼女は工場がある敦賀で7年ほど過ごし、その間に1男2女をもうけた。夫が会社を清算したのちにいったん彼の生家がある西宮に移り、平成16年ごろに一家とともに13年ぶりの東京暮らしに戻っている。生活費の問題と並んで復帰説が持ち上がりだすのは、このころからだ。
 
 さらに2006年の11月、3児の子育て論を披露したエッセイ集『アイスル ジュンバン』(集英社)を発売し、霧のようだった噂の影に色味を与えることになる。出版を機に、2007年の「婦人公論」2月7日号に登場した彼女自身も、15年ぶりの公の揚で「自然の流れ」に身を委ねるとして、こんな真意をのぞかせている。

「芸能界の仕事も、私の波動の変化をキャッチして、一緒にやろうという人が集まってくださるのかもしれないし、私も必要とされることでスイッチが入って、何か行動を起こすかもしれない」

 だが、当時、統一教会の問題に詳しい有田芳生は、

「霊感商法に関しては、すでに最高裁で統一教会の法的責任が認定されています。(中略)結局、教会を辞めない限り、芸能界復帰は120%無理です」(「週刊新潮」2005年5月12日号)

 13年にはサンミュージック代表取締役会長・相澤秀禎氏の葬儀に姿を現したほか、昨年には35年ぶりのアルバムも発売している。

 一部には彼女の前向きな姿勢に受け入れの意欲を見せる関係者もいるのだが、その可能性について語る識者の声は、あまり明るくない。

駒村吉重

週刊新潮WEB取材班

2019年4月30日掲載

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