平成の31年間で「ワイドショー」はどう変わったか 有田芳生と東国原英夫の違い

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ワイドショーはオワコンか?

 なぜか生きてるTBSも、「ゴゴスマ」は自社ではなく系列のCBC(中部日本放送)制作。司会の石井亮次アナは、見疲れ・聞き疲れのしない正統局アナ系ワイドショーMCとして、「ザ・ワイド」の草野の再来、あるいは「ワイド!スクランブル」(テレ朝系)の大下容子アナの男版で、ワタシ、嫌いじゃありません。「宮根と一緒くたに並べるな!」というファンからの抗議がすでに空耳で聞こえてくるけれど、司会はともかく、番組の作りのユルさは「ミヤネヤ」と「ゴゴスマ」の共通点。

 大阪と名古屋の準キー局とはいえ、番組の体裁を整えるクオリティーとなると東京キー局には及ばない部分はまだあるわけで、そんなところで追いつけ追い越せなんてことは求めません。コンプライアンス過剰・忖度過剰の東京キー局では自主規制にひっかかるような企画やキャスティングを、シレっと通して全国に流す。それが地方局制作の番組に対する最大の期待なんですが、「ミヤネ屋」も「ゴゴスマ」も、そのあたりは薄味。東京の連中(特に与党とか芸能プロとか)は見ちゃいないというつもりで番組を作っちゃもらえませんかね、ここはひとつ。さもないと、東京キー局の制作コスト削減のための番組だと見透かされますぜ。

 そもそもワイドショーってのは報道でも芸能でもスポーツでもない、TVの世界では終焉、じゃない周縁のような存在。東京以外の局が制作したり、偉そうなオッサンじゃない若手や女性が司会したりと、中心で作られる番組とは違うあり方があってあたりまえで、面白さはそこからも生まれるはず。なのに「ミヤネ屋」も「ゴゴスマ」も、東京の偉そうなオッサンが前世紀の1999年から仕切り続けてる「とくダネ!」と特に変わったところがない。

 ここまで触れてない「羽鳥慎一モーニングショー」(テレ朝系)や「スッキリ」(日テレ系)にも飛び抜けた特色があるわけでもなく、ただ「モーニングショー」は一茂の使い方がうまいなとか、玉川徹とか青木理とかの反政権系コメンテーターの起用が他にはないなとか、感心することが多めだというくらい(だから毎日欠かさず見てます……ということにはならない)。

 正直なところ、TBSがワイドショーから手を引き、日テレが「ザ・ワイド」を打ち切りという流れが10年周期で起きるたび、ワイドショーはオワコンかなと感じてきました。だがしかし、制作が東京から離れてコストが下がったとか、司会者のケツ持ちがエラいので打ち切りにはならないとか、たぶんそういう理由で、平成が終わる今なお、ワイドショーは続いてます。

 そこにはジョージ・フィールズ(故人)も平田オリザもピーコも有田芳生もおらず、ショーンKでもショーンBenでもないコメンテーターたちが並んで相槌を打ち、デーブ・スペクターの秀逸なギャグと玉川徹の秀逸な怒り、古市憲寿(「とくダネ!」)の秀逸な全方位キックが上滑りする、ヌルい朝、ヌルい昼、ヌルい午後の繰り返し。そんな中に、さぁ令和の世がやってきました。

 引き続きワイドショーのある新時代。

「見ずにすませるワイドショー」という連載がもはや続いておらず、ワイドショーの定点観測が仕事ではなくなっていること、あらためて本当にありがたいかぎりです。

林操(はやし・みさお)
コラムニスト。1999~2009年に「新潮45」で、2000年から「週刊新潮」で、テレビ評「見ずにすませるワイドショー」を連載。テレビの凋落や芸能界の実態についての認知度上昇により使命は果たしたとしてセミリタイア中。

2019年4月29日掲載

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