平成の31年間で「ワイドショー」はどう変わったか 有田芳生と東国原英夫の違い

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死んだはずだよTBS

 思い返してみればワイドショーの平成史は、1989年の10月にTBS系の「3時にあいましょう」のスタッフが、坂本堤弁護士のオウム真理教批判インタビューを教団側に見せたところから始まったという言い方もできます。これが発覚したのはオウムに強制捜査が入った95年で、局側がようやく認めて謝罪したのが翌96年のことでした。

 このとき自局の「NEWS23」の筑紫哲也に「死んだに等しい」とまで言われたTBSは、朝と午後のワイドショーを打ち切ったわけですが、あれから20年。筑紫は亡くなり、オウムの幹部は死刑に処され、TBSは朝が「ビビット」、昼が「ひるおび!」、午後が「ゴゴスマ」とワイドショー尽くし。アンタだけ、死んでまへんな、TBS。

 一方、時計をTBSオウムビデオ問題のころまで戻して、カメラを赤坂から六本木に切り替えると、1997年にテレ朝系で平日夕方のニュース「スーパーJチャンネル」が始まってまして、これは今でもフツーの報道番組のように続いてるからみなさん結構お忘れですが、番組スタート時のキャスターは、月~木曜が石田、金曜が田代というメンツでした。

 念押ししておくと、石田ってのは石田純一、田代ってのは田代まさし。さっき紹介した「ワイドショーが意識低いのは昔っから。それが報道にまで拡がってきてるから怖い」っていうフジ方面のコメントを思い出すと、この点でテレ朝はフジより20年進んでたとも言えるし、フジはテレ朝より20年遅れてたとも言えるとして、「zero」って名前の平日夜のニュースに嵐の櫻井翔や長嶋一茂、桐谷美玲あたりを2006年から起用して、引き続き櫻井は続投させてる日テレという局は、さてどこより何年進んでて、何年遅れてるんだか。

 この局が午後のワイドショー(「ザ・ワイド」)の自社制作から撤退して、系列の読売テレビ制作の「ミヤネ屋」を流すようになったのは2008年。個人的には大阪制作の番組には好物が多いのに、「ミヤネ屋」だけは東京進出前から苦手で、「見ずにすませるワイドショー」という連載が09年に終わったとき、もうあの番組を毎日チェックする義務が雲散霧消したので嬉しかった記憶があるくらい。

 突き詰めれば、司会の宮根誠司を長時間正視していられないという、TVウォッチャーとして致命的な欠陥があるため、フジ系日曜夜の「Mr.サンデー」も仕事以外ではまず見ないんだけれど、考えてみたらワタシにとって宮根は、東国原と共通する苦手物件なんだな。ギラギラ&ギスギス。

 御代が代わって恩赦さえ行われそうな今日このごろ、下半身スキャンダルの蒸し返しは避けますが、かつて宮根に一騒動(いや二騒動?)持ち上がったとき、事前に噂が耳に入っていたとかそんなことは一切なかったのに、まったく驚きがなかったもんなぁ。「朝ズバッ!」(TBS系)のみのもんたや「とくダネ!」の菊川怜もまた、自身にワイドショーネタが降り掛かったワイドショー司会者で、結局2人とも降板してますが、宮根様におかれましてはますますご盛業。見る気もますます衰退するよ。

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