金正恩が文在寅を“使い走り以下”の存在と認定 韓国「ペテン外交」の大失敗

韓国・北朝鮮2019年4月16日掲載

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安倍政権は「首脳会談拒否」

 しかし「真実の時」が来た。金正恩演説によって、韓国は「仲介役」ではなく、米朝の間を右往左往する使い走りに過ぎないことを、誰もが否定できなくなった。

 日本の動きが象徴的だ。共同通信は4月13日「首相、日韓会談の見送り検討」と題した記事を配信し「安倍晋三首相は6月に大阪で開く20カ国・地域(G20)首脳会合の際、韓国の文在寅大統領との個別の首脳会談を見送る方向で検討に入った」と報じた。

 日本経済新聞は「日韓懸案『首脳間の対話期待』 韓国・趙外務次官」(4月11日)で、趙顕(チョ・ヒョン)第1外務次官がG20での日韓首脳会談の開催に期待を示したと書いていた。この期待を蹴り飛ばした格好となった。

 共同の記事は会談拒否の理由を「文氏に冷え込んだ日韓関係を改善する意思が感じられず、建設的な対話が見込めない」(官邸筋)と説明した。

 それは当然の判断なのだが、もし韓国が北朝鮮に強い影響力を持つと認定するなら、拉致問題の解決を目指す日本政府は日韓首脳会談を自分から放棄しはしなかったであろう。

どこまでもついてゆく下駄の雪

 苦境に立った文在寅政権は正面突破作戦に出た。4月12日、大統領自らがSNSで「今回の首脳会談自体が米朝対話に向けた動力の維持に大きく役立つと信じる」と発信した。

 政権に近い左派系紙、ハンギョレも社説「南北首脳は早急に会い、虚心坦懐に対話せよ」(4月12日、韓国語版)で次のように主張した。

●今回の会談でハノイでの朝米首脳会談後の不確実性を除去し、対話に向けた動力を維持するのに必要な契機を用意したともいえる。

●今や文大統領には、韓米首脳会談の結果を持って金正恩・北朝鮮国務委員長と会い、朝米の立場の差を調整する仕事が残っている。

 トランプ大統領は金正恩委員長との再会談について「急げば良い取引にはならない」と記者団に語るなど、早期の会談に否定的な見解を示した。しかしハンギョレは「可能性はある」との発言部分を拡大解釈し、文在寅大統領が次の米朝首脳会談に道を拓いたと強弁したのだ。

 さらにこの「成果」を手に、南北首脳会談を開けると大風呂敷を広げて見せた。保守の「2分間大統領」批判への反撃である。

 文在寅政権には他の選択肢がない。今になって北との融和路線に逡巡すれば、保守から「そら見たことか」と総攻撃を受けてしまう。日本の政界用語でいう「踏まれても、蹴られても、ついていきます下駄の雪」に陥ったのだ。

 金正恩委員長から「使い走り以下」と酷評された後も、この政権は姿勢を変えなかった。4月15日、文在寅大統領は首席秘書官・補佐官会議で「今や、南北首脳会談を本格的に準備し、推進する時だ」と述べ、会談開催に意欲を燃やした。

 朝鮮日報は社説「『でしゃばり』との侮蔑には一言も言い返せず、金正恩がせよと言う通りにするのか」(4月16日、韓国語版)で「文大統領はそんな侮辱には一言も言及せず、金正恩の要求通りに『仲裁者』との表現もやめた」と、プライドのかけらもない国家首班への怒りをあらわにした。

「民族の核」に露骨に動く韓国

 日本として、文在寅発言には見逃せぬ点がある。大統領は南北首脳会談を推進する理由に、金正委員長が施政演説で「朝鮮半島の非核化や平和構築の確固たる意志を表明した」ことをあげた。

 だが、金正恩委員長は演説で「非核化を目指す」とは一度も言っていない。核に関しては「わが核戦力の急速な発展の現実から自分らの本土安全に恐れを感じた米国は(中略)先武装解除、後体制転覆の野望を実現する条件を整えてみようと非常にやっきになっている」と述べているだけだ。

「核を手放せば体制を倒される」と表明したわけで、「何があっても非核化はしない」と宣言したと読むのが普通だ。だが、文在寅大統領は「金正恩委員長は非核化の意思を表明した」と言い張ったのだ。

 ついに韓国は核武装した北朝鮮とスクラム手を組むことを表明した。「民族の核」の確保に人目も構わず走り出したのである(文在寅政権が北朝鮮の核武装を幇助していることについては、拙著『米韓同盟消滅』[新潮新書]第1章第4節「『民族の核』に心躍らせる韓国人」参照のこと)。

鈴置高史(すずおき・たかぶみ)
韓国観察者。1954年(昭和29年)愛知県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒。日本経済新聞社でソウル、香港特派員、経済解説部長などを歴任。95〜96年にハーバード大学国際問題研究所で研究員、2006年にイースト・ウエスト・センター(ハワイ)でジェファーソン・プログラム・フェローを務める。18年3月に退社。著書に『米韓同盟消滅』(新潮新書)、近未来小説『朝鮮半島201Z年』(日本経済新聞出版社)など。2002年度ボーン・上田記念国際記者賞受賞。

週刊新潮WEB取材班

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