横浜「トゥクトゥク」物語 老舗玩具店主が3輪バイクで“移動式写真屋さん”を始めるまで

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閉店、安定を求めて定職に就くが…

 横浜駅前の相鉄ジョイナス1階にあった「足立玩具店」は、ハマっ子なら誰しもが知る有名店だった。足立さんは大学卒業後、パチスロメーカーや大手広告代理店など4社ほど転職を繰り返しているが、いずれ家業のオモチャ屋さんを継ぐつもりだったため、「ひとつの会社に長居せず、好きな仕事をやろう」と考えてのことだった。

 ところが、30代半ばにいよいよ店を継ぐことになり、帳簿を見て愕然。最盛期の頃に比べ、売り上げが半分ほどになっていたのだ。横浜駅前の路面店という恵まれた立地もあってそれ相応の売り上げではあったが、そのぶん賃料が高く、固定費や仕入れ費と相殺するとギリギリの経営状態になっていた。広告代理店時代の経験を活かして、なんとか経営を立て直そうと奮闘したが、どんどんジリ貧になっていったそうだ。

「お店のレイアウトを変えたり、ポップを工夫したり、ネット販売を始めたり、いろいろ手を打ちましたけど、現状維持がやっとの状態でしたね。とくに店を継いだ1年後、ヨドバシカメラがオープンしたことが大打撃だった……。ワンフロアを使ったオモチャ売り場ができてスケール的にかなわないし、うちは定価商売。同じオモチャを歩いて5分のところで3割引きで売られたら、とてもじゃないけど太刀打ちできない。量販店では扱っていない高価なぬいぐるみを置くようにして対抗しようとしましたが、時代の流れには勝てないと思いましたね」

 大型量販店の進出により、昔ながらの家族経営の店が立ちいかなくなることは、今の時代には避けがたい現実だろう。代表の父と「店を畳むか、続けるか」という議論をずっとしていたが、「祖父の代から続く店を自分の代で終わらせたくない」という思いもあり、なかなか踏ん切りがつかなかった。なんとか6年ほど店を続けたが、いよいよ赤字に突入するという瀬戸際、2010年に足立玩具店は閉店することに。足立さんが40歳のときである。

 家業を失い、これから何を食い扶持にしていくのか? まさしく人生の分岐点である。このとき足立さんには、30代の頃から温めていた2つのアイデアがあった。ひとつは「たい焼き屋さんと立ち飲み屋さん」のダブル営業の飲食店であり、もうひとつがタイ旅行で興味を持った、トゥクトゥクを使った商売だった。しかし、当時同棲していた彼女との結婚を考え、安定を求めた足立さんは、とりあえず企業に所属する道を選んだ。薬品メーカー、大手カードメーカーを渡り歩く。契約社員として働いているうちに、正社員へのお声もかかった。しかし足立さんの答えは……NO。

「幼い頃から店を経営する親父の背中を見てきたので、自分で商売をやって生きていくことが私にとっては普通のことだったんですよね。やり甲斐を持って会社の仕事をやってましたけど、独立への思いがずっとくずぶり続けていて、やっぱり立ち飲み屋をやろうと思ったんですよね」

 飲食業は未経験だった足立さん。将来の開業を見据え、会社勤めの傍ら、終業後に立ち飲み屋さんでアルバイトをすることにした。41歳の時である。

「1年ほど修業してみた結果、自分にはムリだと実感しました。それまでインスタントラーメンしか作ったことがなくて、包丁も握ったことがない自分がいきなり飲食店をやろうなんて甘かったな……と(苦笑)。それから大手家電メーカーに転職して営業の仕事に就いたんですが、やっぱり自分で商売がやりたくて、次は何をやろう?と考え続けていました。そのとき30代の頃から温めていたトゥクトゥクのアイデアを実現しようと考え始めたんですよね」

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