人工透析中止 渦中の「福生病院」院長が語った『高瀬舟』

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「私も『高瀬舟』の兄」

 森鴎外が著した『高瀬舟』。長らく病に苦しんでいた弟は、自らの咽喉(のど)に剃刀を突き立て、それを抜いてとどめをさしてほしいと兄に迫る。逡巡の末、兄は剃刀を抜く。結果、彼は弟殺しの罪人となり、高瀬舟に乗せられ島流しに。兄を護送する同心は、この人は本当に罪人なのかと自問する――安楽死・尊厳死と向き合った名作である。

 本誌(「週刊新潮」)3月28日号は福生事件に関連し、ある識者の「今回の一件は、皆が同心となることを求めているのだと思う」という見解を載せた。これに対する松山院長のアンサーが、先の「高瀬舟返し」である。つまり安楽死、尊厳死の「傍観者」ではなく、「当事者」になって考える必要があるのではないかというわけだ。

 そもそも本誌で「高瀬舟論」を持ち出した、ジャーナリストの徳岡孝夫氏が院長の問い掛けに再び応える。

「実は19年前に妻を看取った時、私も『高瀬舟』の兄になっているんです。彼女が最期を迎える間際、人工呼吸を試みれば、妻はもう少し生きられたかもしれない。でも咄嗟の判断で、神様のもとに行った人を呼び戻しても仕方がないと、私は人工呼吸を選択しなかった。今も後悔はありませんが、結局その瞬間、瞬間で決断するしかないんだと思います。世の中は時々刻々動く。高瀬舟に乗って考えている間にも、舟はどんどん流れていくのです」

 願わくは花の下にて春死なむ。散り際に思い巡らす桜の季節――。

週刊新潮 2019年4月11日号掲載

ワイド特集「願わくは花の下にて」より

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