内田裕也と樹木希林の破天荒夫婦伝説 別居40年、連絡方法はFAXのみ

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 口を開けばロッケンロ~ルの内田裕也が3月17日、肺炎のため他界した。享年79。ご存じの通り、不祥事の類は数知れず。その度に頭を下げた相手は、妻の樹木希林だった。

 二人が結婚したのは1973年のこと。その3年後に長女の也哉子(ややこ)さんが誕生したが、内田の粗暴さゆえ、夫婦はすでに別居状態。81年には内田が離婚届を提出したのに対して、樹木がこれを拒否。裁判にまで発展して樹木が勝訴するなどして、約40年間も別居生活が続いていた。

 この間、内田は77年に大麻取締法違反で、83年、銃刀法違反で逮捕。さらに2011年には交際していた大手航空会社の客室乗務員の女性への強要未遂と住居侵入容疑で逮捕。3度目の逮捕直後、樹木は本誌(「週刊新潮」)のインタビューにこう答えている。

〈私は内田さんの弁護士さんに示談にはしないでもらいたいと思っています〉

 女性とのトラブルは自業自得とばかりに突き放したが、一方でこんな心情も。

〈私が見放すことはないわね。自分が内田さんと出会って、ましてや子どもまでいる。内田さんはヤワな部分と強靭な部分のバランスが悪い。最後まで見届けなければいけないと思いますよ〉

 二人の連絡方法はFAXのみ。ごく稀に旅行に行くこともあったが、その費用はすべて樹木持ちだった。その樹木が昨年9月に旅立つと、喜寿を超えて体力の衰えを見せていた内田は、弱気な姿を見せていたという。事務所関係者によれば、

「希林さんが亡くなった後はめっきり元気がなくなり、彼女と一緒に出掛けた時の思い出話をするようになりました」

 内田と親交のあった音楽集団「カイキゲッショク」リーダーのHIROさんは、

「最後に会ったのは、日本アカデミー賞授賞式の3月1日でした。内田さんが“今日は、ヤヤがテレビに出る”と。年明けから入院して、体調が悪い日にはゼリーなどしか食べられなかった。にもかかわらず、最後まで樹木さんが出演した作品のことを気にかけていたのです」

 離れていても、心の内を占め続けた愛妻の後を追うように、その死からわずか半年後に内田は逝った。

週刊新潮 2019年3月28日号掲載

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