JOC次期会長最右翼・山下泰裕氏 軸足ケガで臨んだ伝説の一戦の裏側

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 東京オリンピックを目前に、6月の任期満了での辞任を表明した竹田恒和日本オリンピック委員会(JOC)会長の後任として、名前が取り沙汰されているのが山下泰裕氏だ。竹田氏にかけられている嫌疑が事実かどうかはさておき、次の会長には高潔性がより求められるのは間違いない。その点、山下氏ほど評価の高い人物もそうはいないだろう。
 もっとも、山下氏の選手としての全盛時は今から30年以上昔、80年代半ばのこと。どういう人物なのかを知らない世代も増えてきた。

 そこで、山下氏の著書『背負い続ける力』から、「フェアプレー」についての考えを述べている箇所を紹介しよう。
 ここで山下氏が語っているのは、84年のロス五輪、柔道無差別級決勝にまつわる有名なエピソード。相手選手は山下氏が2回戦でケガをした軸足である右足をあえて狙わなかった……という当時の話は、スポーツ選手の「フェアプレー精神」を讃えるエピソードとして語られることも多いのだが、実際には少し違ったようだ。
 スポーツにおけるフェアプレーとは何かについて教えてくれる深い話を引用してみよう(以下、『背負い続ける力』より)。

 ***

 決勝の相手は、エジプトの巨漢ラシュワンだった。身長192センチ、体重140キロ。私より二回りも大きい。得意の払い腰を中心に、決勝までの試合をすべて一本で勝ち上がってきた。
 戦う覚悟は決まっていた。しかし、どう戦えばいいのかがわからなかった。いつもなら必ず浮かぶ勝利のイメージがまったく湧いてこない。思案を続けながら、試合会場の目の前にある控えの席で出番を待った。そこへラシュワンが入ってくる。鼻息荒く、両腕を振り回してウォーミングアップを始めた。
 無意識のうちにラシュワンの目を見ていた。やがて、ラシュワンが視線に気づく。目と目が合った。にっこりと微笑みかけた。もちろん、心の底から微笑んでいるわけではない。ウォーミングアップの動きを一瞬止めたラシュワンが、微笑みを返してきた。

「よし、これでいける。チャンスはあるぞ!」

 そう直感した。ラシュワンの体に漲(みなぎ)っていた殺気が抜けたように感じたからだ。まったく勝利をイメージできなかった私に自信が蘇った。
 7分間の試合が始まる。2人は畳の中央でがっちりと組み合った。先に仕掛けてきたのはラシュワンだった。
 彼が攻めてきたのは、けがをした右足だ。とっさに右足を引いてかわすと、ラシュワンはすかさず左足に狙いを変えて払い腰に来た。
 実は、そこから数秒間の試合展開は明確な記憶がない。気づいたときには、ラシュワンを抑え込んでいた。
 ビデオで確認すると、左足を開いてラシュワンの払い腰をかわすと同時に、本来の軸足ではない左足を軸にしてラシュワンを投げている。これまでの柔道人生では、考えたこともやったこともない動きだった。頭で考えて動いたのではなく、体が自然に反応した「無の境地」だったのかもしれない。
 ラシュワンが畳に崩れ落ちると同時に、すかさず抑え込みの体勢に入る。しばらくは逃れようともがき、両足を絡めて抵抗するラシュワン。だが、寝技は私の得意とするところだ。絡みついていた左足を抜くと同時に、主審が抑え込みのコールを発した。
 がっちりと決まった私の横四方固めは、容易に逃れることはできない。試合開始から1分5秒、会場に長いブザーが鳴り響いた。

「一本」

 畳を両手で叩く。立ち上がって両腕を突き上げる。会場の歓声が膨れ上がった。表彰式では松前重義先生から金メダルを授与される。会場に流れる君が代を聞いた。目の前では、日の丸が一番高いところに掲揚されている。
 中学3年生で作文に書いた通りの夢が実現していく。その様子を目に焼き付けながら、頭の中に浮かんだことがある。

「俺は世界で一番幸せな男ではないだろうか」

 後日、ラシュワンは国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)のフェアプレー賞を受賞した。負傷したヤマシタの右足を狙わずに戦ったことが理由だという。これについては解説が必要だろう。
 試合開始早々、ラシュワンは私の右足を狙った払い腰を仕掛けている。あるテレビ番組のインタビューでもこう語っている。

「ヤマシタに右足を警戒させておいて、反対側の左足を狙う作戦でした」

 ラシュワンは、試合前に考えたプラン通りに技を仕掛けてきた。結果的にそれがうまくかからず、反対に投げられて負けたというのがあの試合である。
 だからと言って、ラシュワンのフェアプレー精神が揺らぐわけではない。
 けがをした相手を困らせようと思えば、前後左右に激しく動かせばいい。畳の隅から隅まで引きずり回せば、ダメージは一層大きくなる。
 ラシュワンは、そうした卑劣な方法を選択しなかった。その一方で、けがをした右足をあえて狙わないという「情け」をかけることもなかった。それはむしろ、アスリートとしてはアンフェアな行動だと思う。
 2005年8月、エジプトのカイロでラシュワンと対談した。そのときのラシュワンの言葉である。

「当時のエジプト柔道連盟の会長が、ヤマシタのけがをした右足を攻撃しろと言ったのです。私はこう言いました。それはできません。私には柔道家としての誇りも、アラブ人としての誇りもありますから」

 ラシュワンは、私の足のけがなど関係なく、正々堂々と勝負を挑んできた。それこそが、本当の意味でのフェアプレーではないだろうか。

過去の栄光はすべて忘れて構わない

 柔道選手としての力量を客観的に評価すると、私と外国人選手との間には当時大きな差があった。不遜な物言いに聞こえるかもしれないが、けがさえしていなければ何の波乱も起こらなかったと思う。

「山下? ああ強かったね。でも、まあ当然じゃない?」

 オリンピックが終わってしばらくの間はマスコミや国民の話題に上っただろうが、おそらくすぐに記憶から消え去っていたに違いない。
 現実は、金メダル確実と言われた山下が試合中に大きなけがを負い、それが原因で初めて外国人選手に投げられる。試合を見守っていた日本国民は、山下は本当に金メダルが取れるのだろうかと気を揉んだと思う。
 結果論になるが、逆境を跳ね返して金メダルを獲得したことで、多くの人の心を動かすことができたのだろう。むろん、望んでけがをしたわけではない。あれだけの大舞台でけがをすること自体、褒められた話ではないことは承知している。ただ、けがをしながら金メダルを取ったことで、私の人生は変わった。
 オリンピックを終えて帰国すると、日本中が熱狂していた。その様子を見て怖くなった。もし、あの勝負に負けていたら……。体が震えた。

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 日本人のフェアさをアピールするには、山下氏はうってつけの人材と言えるのではないか。

デイリー新潮編集部

2019年3月26日掲載

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