締め切りのある人生を(古市憲寿)

社会週刊新潮 2019年3月14日号掲載

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 友人のある漫画家は、とにかくこだわりが強い。せっかく引いた線に納得がいかなくて、何度もやり直しをすることは日常茶飯事。自分のことを「空白恐怖症」と呼ぶくらい、背景もきちんと描き込みたい。

 ここまでは「作家のこだわり」で済む話なのだが、問題はその完璧主義ゆえに締め切りを守れないこと。その人の中では「80点」も「90点」もなく「100点」しかない。「100点」を目指す試行錯誤をしている間に締め切りが来て、結果的に下絵が雑誌に掲載されてしまうこともある。

 他人からは本末転倒に見えるだろう。しかも素人には「80点」も「100点」も、ほとんど区別なんてできない。だから「80点」で諦めればいいのにと思ってしまう。しかし漫画家本人からすれば、その差は歴然としているのだという。

 同じような話を、別のクリエーターからも聞いた。その人も、数年前まではまるで完璧な彫刻を作り上げるかのように、作品作りをしていたという。何度も像を削っては、少しでも気に入らなければボツにする、の繰り返し。

 しかしある時期から、制作方法を変えたという。作品をその時の自分のドキュメント(記録物)だと思うようにした。どんな作品も時代やら環境やらに左右される。だったら、自分に与えられた条件の中で、そのタイミングでしか作れないものを残せばいいのではないか。

 そう意識を切り替えてからは、多くの作品を残せるようになった。しかもその時期にいくつもの大ヒットを飛ばしている。

 完璧主義という思想は罪だと思う。なぜなら、本当に「完璧」なものなどあるのか、という話になるからだ。現代人が絶賛したものが時代に耐えられるかわからないし、違う文化圏で受け入れられるかも不明だ。

 仮に「完璧」に見えるものがあるとすれば、それはいくつもの条件や制約の上に辛うじて成立しているに過ぎない。現実世界では、ゲームのような「完勝」や「完敗」はない。それはルールがゲームよりもはるかに曖昧な上に、ルール自体の変更さえもよくあるからだ。

「完璧」は概念としてしかあり得ないのだろう。もちろん、その「完璧」を追い求める姿は美しいし、その探求を止めるべきではないのかも知れないが、残念ながら人生は有限だ。

「あたかも1万年も生きるかのように行動するな」とはマルクス・アウレーリウスの『自省録』にある有名なフレーズ。こんな言葉もある。『平成くん、さようなら』でも書いたが、「締め切りのある人生を生きてください」。歴史学者の佐藤卓己さんに聞いてからやけに印象に残っている。

 もしもこの世界から締め切りが消えたなら、ほとんどの雑誌や本は刊行されないだろう。音楽も映画もなくなってしまうかも知れない。それくらい締め切りとは貴いものなのである。

 ちなみにこの原稿の締め切りは今日。友人と映画を観に行くためにあと3分で家を出る必要がある。完璧主義者じゃなくてよかった。

古市憲寿(ふるいち・のりとし)
1985(昭和60)年東京都生まれ。社会学者。慶應義塾大学SFC研究所上席所員。日本学術振興会「育志賞」受賞。若者の生態を的確に描出し、クールに擁護した『絶望の国の幸福な若者たち』で注目される。著書に『だから日本はズレている』『保育園義務教育化』など。