大杉漣さん一周忌 最大の懸念、事務所解散で所属俳優やマネージャーはどうなった?

エンタメ 芸能

  • ブックマーク

Advertisement

新事務「空」立ち上げ

「教誨師」には、やはりバイプレーヤーとして名高い古舘寛治も死刑囚役で出演していたが、彼もザッコの所属だった。

「古舘さんと彼のマネージャーが中心となって、ザッコ解散の翌日、12月1日に新事務所『空(くう)』を立ち上げました。新事務所には旧ザッコの役者が5人ほど参加しています。ザッコのスタッフは社長だった大杉夫人、デスクの女性、マネージャーが2人しかいなかったのですが、古舘さんと同じマネージャーだった役者たちが新事務所に移ることになったんです。ただ、全員が揃って移動したわけではないそうです。1人のマネージャーで全員の面倒を見切れないところもあるでしょうから。その代わりと言ってはなんですが、みんな新たな仕事が入って頑張っているようです。もう1人のマネージャーは別の芸能事務所に移り、彼女が担当していた役者たちはそれぞれ別の事務所に入ったそうです。ケンカ別れという話も聞きませんから、中心だった大杉さんがいなくなったのでバラバラになったということでしょう」(芸能記者)

 大杉さんが亡くなった際、毅然とマスコミに対応していた息子でカメラマンの大杉隼平氏はどこに?

「芸能事務所に移ったのは役者です。隼平さんはカメラマンですし、映画監督の佐向さんも特に移籍ということではないようですね。それとデスクだった女性は、大杉さんの命日の前日である2月20日に、ウエッブサイト『大杉漣記念館』を立ち上げました。ザッコは芸能事務所としてはすでに解散していますが、『記念館』が出来上がったことで、残務処理も終了という感じではないでしょうか」(芸能記者)

 あなたの仲間たちは、みんな頑張ってるようです、大杉さん。

週刊新潮WEB取材班

2019年3月9日掲載

前へ 1 2 次へ

[2/2ページ]

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。