異色のワンカットで「被害者」の視点からテロを描く

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 2011年7月22日午後3時過ぎ。ノルウェーの首都オスロの中心部にある政府庁舎が突然爆破され、8人が死亡するという事件が発生した。

 この日、オスロの北西約40キロに位置するウトヤ島では、毎年の恒例行事であるノルウェー労働党青年部のサマーキャンプが、10代の青年約700人を集めて開かれていた。

 午後5時過ぎ、この島に響いた1発の銃声が惨劇の始まりとなった。銃の乱射で69人もの若者が死亡。オスロとウトヤ島の事件は、同一犯による連続テロであり、ノルウェーでの戦後最大の惨事となった。

 2つの事件は、極右思想を抱くたった1人の男――アンネシュ・ブレイビク(当時32歳)によって起こされたものだった。ブレイビクは積極的な移民受け入れを進める政府の方針に反発し、用意周到な計画を実行に移したのである。ブレイビクはウトヤ島で警察に投降して逮捕。裁判所は禁錮最低10年最長21年の判決を言い渡し、現在も収監中である。

 この連続テロのうち、ウトヤ島銃乱射事件を描いた『ウトヤ島、7月22日』が3月8日から、ヒューマントラスト有楽町ほか全国でロードショー公開された(配給・東京テアトル)。

 その演出は衝撃的だ。カメラは、主人公のカヤ(アンドレア・バーンツェン)によりそう形で、事件の発生から終息までの72分間をそのままワンカットでとらえていく。劇映画には必須とも思える音楽が流れることは一切なく、観る者をしてまるで現場に居合わせているかのような生々しさを抱かせる。そして驚きの結末――。

メガホンをとったのは、かつて戦場カメラマンとして活躍した後映画界に転じ、前作『ヒトラーに屈しなかった国王』(2016年)では国内の映画賞を総ナメにしたうえアカデミー賞ノルウェー代表作品にも選ばれた、実力派のエリック・ポッペ監督だ。

事件発生からわずか7年で、なぜこの題材を取り上げたのか。そして演出にあたり、劇映画の「文法」を一切排除したのはなぜなのか。ポッペ監督に聞いた。

ヘイトスピーチが蔓延するからこそ

 今回の作品は、前作の撮影中から企画を考え始めていました。というのも、私たちは今大きな脅威にさらされている、という思いがあったからです。それは私にとっての切迫感とでも言うべきものです。

 現代は、右派左派を問わず、ヘイトスピーチが蔓延しています。それはインターネットの空間においてのみならず、政治の世界でもヘイトの論法が当たり前になってきている。その結果が何をもたらすのか。その悲惨な事例が、ウトヤ島の事件でした。

 この事件は、ヘイトスピーチに洗脳された1人の男が起こした行動です。それがこれだけの犠牲を出す事件になった。ヘイトスピーチなんてたかが言葉じゃないか、と他人事のように考えてはなりません。言葉は確かに影響力を持っています。

 その言葉が、今は社会を分断しつつある。ヨーロッパだけでなく全世界の右傾化が進み、その脅威がじりじりと迫りつつあるのを私は感じているわけです。だから私は、この作品を作ろうと思い至りました。

 でも一方で、ウトヤ島の事件をどう掘り下げて語ることが可能なのか、という自問自答もありました。ともあれ事件の全容を知ろうと思い、40人以上の生存者に1人1人インタビューしていきました。

 そこで感じたことは、これだけ大きな事件になったのに、生存者以外の私たちはこの問題について意外に理解していない、ということでした。事件そのものについても、事件の再発防止ということについても。

 こうした大事件やテロ行為というものは、繰り返し映画などで語られてきていますが、その多くは加害者側の視点なんですね。それはそれで、人物像だとか犯行に及んだ動機などを突き止めようとする試みとしては理解で知る。でも、それを繰り返しても、われわれは何も変わっていまい。結局はエンターテインメントとして消化しているにすぎないように思ってしまいます。

 ウトヤ島の事件も同じです。ブレイビクに関してはさんざん報じられました。何カ月もかけて裁判が行われ、その報道から、彼の思想やヘイトの内容も誰もが知るところとなった。彼に関する本すら出版されたくらいです。でも、被害者が取り上げられることはなかった。だから生存者は口々に、「われわれは理解されていない」と言うんですね。

 彼ら、ウトヤ島に集まっていた少年少女は、労働党青年部に入っている子たちですから、次世代の政治家になるべき子供たちなんですね。彼らはたとえば環境についてとか、よりよい世の中をつくるためにはどうしたらいいか、といったことについてキャンプしながら議論するわけです。

 ブレイビクは、そんな子たちを殺そうとし、実際殺害したわけです。これは明確な政治的意図を持った攻撃であり、決してランダムな犯行ではない。この事件は単なる惨事ではなく、過激な思想がもたらした意図的なものであるということ。そしてそうした過激さがどんどん増えつつあるという切迫感。やはり今、この事件について語らなければならないと思いました。

観客の感覚を挑発

 生存者への聞き取りをしていく中でみなさんが口々に言ったのが、銃撃の最中、逃げ場のない小さな島でいつ殺されるかわからないという恐怖が、まるで永遠のように続くと感じていた、ということでした。実際には銃撃は72分間続きました。が、当事者たちは72分で終わるとは思っていないわけです。私は、この永遠に続くと思われた72分の恐怖を伝えようと考えたのです。

 またそれは、次のような意味もあります。被害者側から描いたもの――最終的にはひとりの少女の視点にしました――を提示して観客の感覚を挑発して、考えるきっかけにしてもらおう、と。

 だから、こうした思いを表現するには、あの72分を表現するには、ワンカットで一気に撮る以外の選択肢はないという結論に至ったのです。あくまで主人公のカヤに寄り添った視線ですので、犯人のブレイビクらしき人影を見かけるのはたった2回ほどです。徹底した被害者の視点なら、そもそも犯人を堂々と見かけることなんてないわけですから。もし、普通の映画のように別カットで犯人の様子を入れてしまうと、そこで観客とカヤとの関係性が断ち切れてしまう。見えるのはあくまで「カヤが見た犯人」なのです。

 そして、映画の中にある様々なエピソードはすべて、聞き取りや警察の協力で得た事実に基づいています。生存者の何人かはこの作品にさまざまな形でアドバイザーとして協力してくれましたが、彼らは、私たちが描こうとしていることが少しでも実際の事実から乖離しそうになったら、「そこはちょっと違う」と軌道修正してくれました。映画の中で青少年たちが取った行動はすべて、生存者の皆さんの体験談がもとです。どんあふうにお互いか気づかい、思いやったりしていたのか。冗談を言い合ったり、歌を歌ったりしたのもそうです。

 たとえば、途中でカヤが歌を口ずさむシーンがあります。曲はシンディ・ローパーの「トゥルー・カラーズ」。なぜこの曲だったというと、まず実際、事件の最中に島の3カ所ほどで歌を歌ったという体験談があるんですよ。それぞれ歌われた曲は別だったのですが、中でも「トゥルー・カラーズ」が一番センチメンタルではないと思い、採用しました。ちなみに原曲は1986年のヒット曲ですが、ちょうど事件当時、ノルウェーのアーネ・ブルンという歌手がカバーして流行しており、それで少年少女もよく知っていたようです。

徹底して事件を再現

 この映画を撮るにあたって考えたのは、キャストはすべて素人の子にする、ということでした。全国を探し回りましたよ。それだけで約1年かかりました。そしてカヤ役のアンドレアさんに出会ったのが決定的瞬間でしたね。彼女はものすごく才能のある子で、この子ならこの作品が作れる、と判断できました。

 キャストが決まったところでいよいよ製作にとりかかるわけですが、その際スタッフ全員に徹底したことがあります。それは、この作品を作る上で一番大事なことは尊厳だ、ということでした。それはテーマに対すれ敬意であり、事件からまだ7年しか経っていないという事実に対する敬意であり、なによりも被害者、生存者の尊厳を損なってはならない、ということです。その上で細部に至るまで、できうる限り真実を描く、ということが必要だとしっかり伝えました。

 リハーサルには3カ月かけました。劇団が舞台公演を行うような準備をしたわけです。というのも、カメラを止めることなくワンカットで撮影するとなると、私がそばについていちいちいち演出することなどできません。なので、徹底的にリハーサルで必要なことを仕込んだのです。

 撮影現場は、実はウトヤ島ではありません。別の近くの島に撮影したのですが、それでもこだわりぬいたというか、地形がほぼ一緒でしたので、それをうまく利用して72分間を再現しました。

 それはまた、生存者の思い出もありました。稀らは事件そのまま、その通りに再現してほしいということを言っていました。だからたとえばブレイビクがどんな武器をどこでどう使ったかについても、全部再現しています。

 エキストラ150人も入れての、実際の撮影は5日間。月曜から金曜まで1日ワンテイクでしたから、同じ72分を5回撮影したことになります。今回の作品はそのうちの4テイク目、つまり木曜日のテープを使用しました。

 撮影で一番気を使ったのは、キャストである子供たちやスタッフへの配慮です。そのために精神科医に参加してもらったりもしました。

 撮影で、キャストにとって一番ショッキングだったのは、銃声だったと思いますね。リハーサルでは一切使わず、本番で初めて使いました。きっと怖かったと思います。事件の日、ブレイビクが発砲したのは540発でしたが、撮影でも全く同じく540発鳴らしました。

ヒロイズムにはしたくない

 先にもお話ししましたが、私はこの映画で、加害者の視点を徹底的に排除しました。その方法としての、徹底した被害者視点でのワンカット撮影だったわけですが、やはり私は、ハリウッドのヒロイズムではないものを撮りたかった。普通の人間を描きたかったんです。この作品に登場する人たちはみんな普通で、当然普通の人間の行動をする。そうした普通の人間の中にもこんな美しさがあるんだ、ということも描いたつもりです。

 もちろん中には、時として他人に手を差し伸べることができず、自分が逃げるしかないという場面もあったりします。でも、それを含めて普通の、リアルな人間を描きました。私は、主人公の少女カヤをヒロインに仕立て上げたくなかったのです。

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Foresight 2019年3月9日掲載

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