早大スーフリ事件「和田サン」懺悔録 現在は別名、15年の“塀の中”生活を明かす

社会 週刊新潮 2019年2月21日号掲載

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「ホームレスになるのかな」

 仕事が終われば、就寝までの時間は部屋で過ごせます。私はもっぱら、読書や資格のための勉強に充てていました。少しでも成長しないと、生きている意味がないと思い始めたからです。

 よく「刑務所内で本を何百冊何千冊読んだ」という人がいますが、そんなには読めなかった。それでも、世界史に関する本はかなり読んでいました。私はPCゲームの「三国志」が好きで、大学も文学部史学科に進みたかったのですが、就職が難しくなるからと仕方なく経済学部を受けたのです(注・最初は中央大経済学部に入学)。だから、まだ純情だった高校生の頃の夢を、30代後半になって塀の中で叶えたような気分でした。

 高校の世界史の教科書も通読しましたし、興味の赴くまま特にジャンルもしぼらず、東インド会社の本だったり、ビザンツ帝国の本だったり、あるいは古代中国に関するものとか、対象はバラバラでした。本は月4冊まで自費で買えたので、新聞の広告を見て面白そうなものを片っ端から買っていましたが「本屋に行ってもっと多くの中から選びたい」という欲求は、いつもありました。

 中でも印象に残っているのは、杉山正明さんという学者が書いたモンゴル帝国に関する本。遊牧民が世界を大きく動かしていたのだという、西洋とは全く違う歴史観が提示されていて、とても面白かった。

 所内の作業では給料が貰えます。炊場に移ってからは残業や早出の割増分もあって、額がすごく増えました。月に1万5千円くらいでしたが、中ではかなりの高給取りでしたね。でも、それを元手に読み切れないほど本を買って後悔しました。学術書は文庫でも2千円くらいするので、出所後に役立てるはずのお金が足りなくなってしまうという、本末転倒の状態に陥ったのです。

 勾留期間を除いて正味12年半となった服役中に、ざっと100万円以上稼いでいたのに、出所時の所持金は38万円しかなく、そのお金もあっという間に使い果たしてしまった。最初は生活用品が全くない状態で社会に出て、大体の品物は100円ショップで手に入るというのに、それを知らず無駄に何倍もの値段で買っていたのです。

 もともと私は経済観念に乏しく、サークルの頃も収支はどんぶり勘定。知人に借金をしながらイベントを開いて、入った金は全部使う。この繰り返しで貯金ゼロのまま刑務所に入ったのですが、恥ずかしながら誰にいくら借りて、それがどうなったのかも現在、正確に把握できておりません。

 読書とともに、将来の出所に備え、中では資格を取ろうと勉強もしていました。出所の3年前には6カ月間、山口刑務所に「職業訓練」に行き、さらに山形刑務所に「再犯防止プログラム」を受けに行ったりしたのですが、その前に千葉で取れる資格は全部取得しました。

 簿記は1級まで、危険物取扱者は甲・乙種すべて。山口では2級ボイラー技士免許を取り、パソコンの基礎も教わって簡単なワードやエクセルの資格も取りました。山形では、そろばんの試験も受けましたね。

 でも、そうやって資格を取り続けながら、出所の2~3年くらい前からは「俺はどうなるんだろう」と、漠然とした不安を感じるようになりました。出所が近くなった受刑者が就職先を探す「就労支援」制度を活用したものの、最初に受けた会社は不採用。面接の感触はよかったのですが、社に帰って私の名前を調べたのでしょう。すぐに何者か分かり、断られたのだと思います。山口での職業訓練中にも別の社を受け、そこも不合格でした。だから「世間に正体がばれたら、まともに住めなくなるのでは」という不安は、今でも抱えています。

 性犯罪者は更生保護施設でも受け入れづらいと聞いていたし、出所が近づくにつれ「このままホームレスになるのかな」との思いに襲われる毎日でした。

 実際、今の会社に採用が決まったのは、出所のわずか2日前でしたから。

(2)につづく

独占手記「刑期を終えた『スーフリ事件』主犯『和田サン』懺悔録」より

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