“団塊の世代”生みの親「堺屋太一」のアイデアマン人生

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 大河ドラマ「峠の群像」は、忠臣蔵を題材にした物語だ。元禄文化が隆盛を極める一方で、武家社会には凋落の影が忍び寄る。吉良邸への討ち入り事件は、下り坂を迎える江戸時代の「峠」であったと、原作者の堺屋太一氏(享年83)は描いて見せたのだ。

 2月8日、多臓器不全で亡くなった堺屋氏が、大阪万博の企画・立案者であることはあまりにも有名だ。通産省の同期で元IT担当大臣の松田岩夫氏が振り返る。

「池口(小太郎)さん=堺屋氏の本名=は、入省当時から思想家みたいなところがありました。アイデアマンだったし、官僚らしくない夢を語る。“同期だけどすごい奴がいる”と敬服していたものです」

 しかし、当時の通産省は“重工業派”に牛耳られており、万博を軽視する空気があった。それでも万博にこだわる堺屋氏は、上司から辞表を出すよう迫られるが、人気とりで長期政権を目指す佐藤栄作首相(当時)の目に留まり、実現へ向けて走り出す。

 が、待ちに待った万博の前年、堺屋氏に示されたのは、鉱山石炭局(現資源エネ庁)への異動だった。

 この頃から、官僚として生きることの限界を感じていたのだろう。1975年、名前を伏せたまま小説『油断!』を発表し、翌年から『団塊の世代』の連載を始める。

『堺屋太一の青春と70年万博』(出版文化社)の著者である作家・三田誠広氏によると、

「団塊という言葉は、鉱山石炭局にいた頃、海底鉱物資源のマンガン団塊にヒントを得て付けたのだそうです。やがて来る時代を、ぱっと分かる言葉で表すのが非常にうまかった」

 通産省を飛び出してからの活躍はいわずもがな。経済企画庁長官や女子プロレスの後援者など、いくつもの顔を持つ人でもあった。昨年の2025年万博の誘致合戦では、「スマホよりもっと面白いものを」と檄を飛ばした。峠を越えた日本社会のことが、亡くなる直前まで心配だったに違いない。

週刊新潮 2019年2月21日号掲載

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