息子の事件に再批判高まる喜多嶋舞 芸能人は子どもの犯罪で謝罪すべき?

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謝罪以上に問われる、親としての責任の取り方

 今回のケースで言うと、両親から暴力をふるわれていたと嘘をついたとか、大沢自身も育児中に手を焼いていたと語るなど、加害者自身の心の不安定さも前からあったようである。けれども本人がそうなってしまった理由は、母親の無責任さに帰するもの、という意見も多いことだろう。

 とはいえ喜多嶋は親権を放棄している。たとえ彼女が謝りに出てきたところで、スッキリするのは息子よりも世間だろうし、そもそもこれだけ世間を騒がせても雲隠れできる肝の太さを持つ彼女が、真っ当な謝罪をできるのかが疑わしい。それは息子の心の傷に、塩をさらに塗り込むことにならないだろうか。

 ちなみにかつて黒木瞳は、毎朝娘のお弁当を作り、親子3人でカラオケに出かけたりと、仲睦まじい様子をトーク番組で語っていたが、娘が名門校の同級生に対して暴行事件を起こしたという報道がなされたことがある。この件については刑事事件にならなかったし、黒木も全くコメントしていない。ただ、親がいかに良い親であろうと振る舞い、いかに良い教育を受けさせても、子どもが道を踏み外す時は踏み外すものだと思ったエピソードだった。

 喜多嶋をかばうつもりは全くないが、そう考えると形ばかりの謝罪が必要なのか疑問が残る。本当に子どもにとって助けになることが何なのかは、それぞれの家庭ごとに答えがあるだろう。それを果たすのが本当の親の責任ではないか。現時点で気になるのは、彼女の再婚相手との間にできた娘のことである。確かもう小学校高学年のはずだ。今回の事件に関するニュースくらい簡単にアクセスできるだろうし、母親の悪評含めて周囲の反応にも敏感になる年頃である。そういう環境下で育つ彼女の行く末もまたどうなることか。冒頭に挙げた源氏物語は、「親の因果が子に報い」というテーマもある。業の深い人生を歩む喜多嶋、世間に対してはどうであれ、子どもたちに対する落とし前だけはちゃんとつけてほしいなとただ願うばかりである。

(冨士海ネコ)

2019年2月8日掲載

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