他界「市原悦子」さん 知られざる“勝ち気”と“病弱”

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 当り役「家政婦は見た!」での飄々とした演技、「まんが日本昔ばなし」での独特な語り口、誰からも愛される存在だった。庶民派女優の市原悦子さんが、1月12日、心不全で帰らぬ人となった。享年82。

 おっとりとした印象のある市原さんだが、実は根っからの負けず嫌い。一度、役に就けば、とことん拘り、なりきるまで練習に励む。

 20代の頃、俳優座養成所で同期だった脚本家のジェームス三木氏は述懐する。

「40人近くいる同期の中で群を抜いて上手でしたよ。プライドが高く、勝ち気な性格。表に出ない所で努力する、そんな方でした」

 趣味は麻雀。こちらも“強気の手”だったようだ。

「勝つ時は豪快に、降りる時はさっさと引く。“勝ちに拘る”打ち方でしたね」

 とは、親しかった知人。

「あまりの気迫に、共演中の俳優達は“役まで喰われてしまう”と番組終了までは敬遠していたほどです」

 晩年は病に苦しめられる日々だった。2012年にS状結腸腫瘍を患い手術。夫の演出家、塩見哲(さとし)氏の献身的看病もあり復帰するも、16年には自己免疫性脊髄炎の難病が襲った。最愛の伴侶は14年に肺癌で逝去。一人での闘病となった。

 所属事務所の社長が語る。

「耐え難い手足の痺れ、痛みが襲うのですが、原因が分らない。本人はかなり辛かったはず。でも弱音は一切吐きませんでした。仕事に戻りたい一心で病を克服し、一昨年、車椅子ながら退院するに至ったんです」

 が、三度(みたび)の病魔が襲う。昨年12月初め、腹痛を訴え入院、盲腸と診断される。薬で散らし、30日には退院できるまでに回復したが、年明け5日には容態が急変。そのまま静かに旅立った。

「盲腸と甘く見たのがいけなかった。激痛を我慢していたようです。入院中も病室でナレーションの収録をこなし、先の予定を気にするなど、最期まで仕事への執念を持ち続けていました。こんなにも呆気なく逝ってしまうなんて……」(同)

 役に勝る私生活だった。

週刊新潮 2019年1月24日号掲載

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