ドラマ「ちょうどいいブスのススメ」のちょうどよくない着地点

エンタメ

  • ブックマーク

Advertisement

 女の子は可愛くてバカなのが一番、とは「華麗なるギャツビー」のヒロインの台詞だが、実際はどうなのだろう。「ヤレる女子大生ランキング」と、読売テレビのドラマ「ちょうどいいブスのススメ」の改題問題を見て思い出した。

 ヤレる女子大生ランキングと、ちょうどいいブス問題は裏表だ。肉体関係を持つのに手頃な女の見分け方と、そういう手頃な女でいた方が幸せという指南。気取ってたって始まらないんだから、と双方が言わんばかりのノリで世の中に出た瞬間、集中砲火を浴びたという顛末である。

 さて、そんなさなかに始まったドラマ「ちょうどいいブスのススメ」改め「人生が楽しくなる幸せの法則」。第2話まで見てみたものの、全体的に腰が引けている印象を受けた。「ブスは容姿ではなく生き方のこと」と、初回でドラマの趣旨を説明する台詞もあったが、いやいや今さら、と笑ってしまった。それならタイトルを変えなくてもよかったのに。
 
 原作者である相席スタートの山崎ケイは、「酔ったらイケる女」を自称し、ネタにしてきた。彼女の芸風からすれば、「ちょうどいいブス」というのは「男性から見て可愛い容姿ではないが、酔ったら肉体関係を持ってもいいと思える女性」と見るのが妥当だろう。山崎自身は「自分のことを美人だとも思えないし、すごいブスだと思うと生きにくい。そういう子たちに“ちょうどいいブス”っていう立ち位置はどうですかっていう一つの提案」と語っているが、そうであればやはり、「ブス」とは容姿のことを指していると考えるのが自然である。

 ドラマでは、自己表現下手、融通がきかない、開き直る3タイプの女性を、「ブス」としてやり玉に挙げていた。原作者である山崎の登場や、漫画のようなコミカルな演出も含めて、深刻な指摘に見せない点も気を使ったのだろう。平凡な容姿の女性課長が、モデルの彼女がいた男性を気配りで陥落させたというシーンを入れ、外見より生き方が大事とダメ押しする。そして3人それぞれが「ブス」の殻を破るべく行動したことで、周囲の変化に手応えを感じていく……という展開だった。

 しかしこれ、どのへんで「ちょうどいい」とするのだろう。主張しすぎず、でも言うべき時ははっきり言う、という性格になれば「ちょうどいいブス」なのか? そうなるともはや、ただのイイ女ではないだろうか。しかも夏菜や高橋メアリージュンほどの容姿ならなおさら。こうして私は、改題によって原作の主張がぼやけていくことに疑問を覚えたのだった。

「ちょうどいい」地点のない、二者択一のドラマ

 思えば、このドラマはすべてを2択化している。美人かブスか。人気者か厄介者か。幸せか不幸せか。彼氏がいようが、多少容姿が良かろうが、生きづらいなら全員ブス。幸せになりたいなら、まずブスを認めることから、という論理。

 でも現実はそう簡単に割り切れない。美人でもブスでもない人が多数だろうし、恋愛のスタンスも人それぞれだ。会社では影が薄いが、趣味の場では存在感を発揮するという人も多いだろう。ドラマなんだから、多少の誇張表現があった方が話の展開を作りやすい、という思惑があるにせよ。

 2択化できる唯一のことがあるとすれば、行動するかしないかである。すべての結果は容姿や性格についてくるのではなく、行動についてくる。時と場所に合わせて行動を変えることで、手にする結果が変わってくるというだけのこと。自分の容姿や性格を「ブス」と卑下する必要は全くないのにな、と私は思う。

 本来山崎が伝えようとしていたのは、「自分の美醜をわきまえた振る舞いをしろ」という処世術のはずだ。出しゃばりすぎず、卑屈になりすぎず、男性に「コイツは自分の立ち位置をわかっている」と安心させる所作。それが容姿で強みをもたない女性が、恋愛面で有利になるテクニックだと。可愛さより可愛げ。それがちょうどいいブスの本懐。いざ、モテない美人よりモテるブスへ。

 でも、容姿のことではないとドラマは語る。男性に愛されることだけを、女の幸せと描くのもリスキーなご時世だ。原作のテーマとタイトルの引きの強さは、炎上と延焼を恐れたテレビ局によってだいぶ薄味になってしまったが、このドラマでの「ちょうどいいブス」とはどんな塩梅の生き方を指すのか。ちょうどいい落としどころが果たしてどうなるのか、いちブスとして見届けたいと思っている。

(冨士海ネコ)

2019年1月23日掲載

メールアドレス

利用規約を必ず確認の上、登録ボタンを押してください。