「北澤」「福田」「加藤」が振り返るJリーグ元年 写真週刊誌の対策をカズ助言

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 約5万9千人が詰めかけた国立競技場がしんと静まり返る。そこに響き渡る前田亘輝(TUBE)の君が代。満場の観客は試合前のセレモニーにすっかり酔い痴れていた。1993年(平成5年)の5月15日、Jリーグ開幕試合のヴェルディ川崎vs横浜マリノス戦は、チケットを求めて15倍近い応募が殺到したものである。日本中が沸き立ったプロサッカーリーグの誕生はJリーガーも翻弄した。

 10クラブでスタートした「Jリーグ」の中でもキラ星のごとくスター選手を揃えていたのはヴェルディだ。三浦カズ、ラモス瑠偉、武田修宏、そしてロン毛でお馴染みの北澤豪など、派手なうえに癖のあるプレーヤーばかり。が、それは意識してのことだったと北澤が振り返る。

「ピッチでのプレーもさることながら、プロ選手は華がなくてはいけません。その点、ヴェルディはエンターテインメント志向のチームだったので、試合後のプライベートにも寛容でした。マスコミに見つかりやすいようにわざと六本木に繰り出してドンチャン騒ぎ。1次会はチームのメンバーなど30人ぐらいですが、いつの間にか友達の友達まで合流して150人ぐらいになっている。“ヴェルディの連中は遊びも凄いぞ”と盛り上げたかったのです」

 当然、写真誌にも追いかけ回された。

「カメラマンにつけられていると分かったらカズさんに電話するんです。すると“家がバレるとまずいぞ”とアドバイスしてくれる。タクシーを一方通行の道の入り口に止め、その先に待たせておいた別の車で逃げたりね。カズさんは田原俊彦さんと仲が良かったので記者のまき方を教えてもらっていたんだと思います。でも『FOCUS』や『FRIDAY』のターゲットになることが一流選手の証し。“キーちゃん(北澤)も一人前になったな”なんて冷やかされたもんです」(同)

 つい2年前までは一企業(本田技研)のサラリーマン選手だった北澤が、プロ野球のトップ選手並みの年俸(約1億5千万円)を手にする。バブル崩壊で意気消沈する世にあってヴェルディの選手たちは、ジャパニーズ・ドリームの体現者だった。

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