“姐さん”から“福岡の女帝”へ、中澤裕子が語る追憶の「モーニング娘。」

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体育会系のノリ

 00年に加入した辻希美と加護亜依は当時12歳。

「2人は小学校を卒業したてで、いつも“おやつ食べたーい”とか言っていて、にぎやかでしたよね。辻はよくなぞなぞを出してきたので、答えてあげていました。あと、加護は目が合うとよくダブルピースのポーズをしてくるので、黙ってピースサインを返していましたね」

「モー娘。」の“姐さん”と呼ばれていた中澤だが、役割としては“母さん”に近かったようだ。しかし、いくら一回り歳が離れていようと、仕事の上ではライバル同士。

「私たちの時代は完全に体育会系のノリでした。例えば、歌番組のリハ終わりで映像をチェックするのですが、本来自分が映っているはずのカットが、他のメンバーに代わっていることがある。そういう時はマネージャーさんから“お前のパフォーマンスがダメだからこの子に代わったんだ”ときつく指導されます」

 中澤はそう振り返る。

「リハではツーショットだったのに、本番では単独ショットになっていることもあり、“私がダメだから切られたのか”と悔しい思いをしたこともあります。メンバーはみんな“1秒でも長く映りたい”と思っているから、楽屋は無言と感じることもありました」

 しかし、その一方で一体感も強かったといい、

「誰か一人が鏡の前で振り付けの確認を始めると、他のメンバーも次々に入ってきて、最終的には全員で踊っている、というのが日常茶飯事でした。18年に20周年で集まった時も全く同じことが起こって、“変わってないなぁ”と思いましたね」

「モー娘。」時代の約3年半を「修行みたいな時間」と表現する中澤。“姐さん”から“女帝”へ――稀有な脱皮を遂げられたのも、修行の成果に違いない。

週刊新潮 2019年1月3・10日号掲載

ワイド特集「平成30年史の『俗物図鑑』」より

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