新幹線でたこ焼きも豚まんも食べられない!? 「不寛容」な「ギスギス社会ニッポン」

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「ギスギスの悪循環」

 では、なぜ我々の社会はそのような“ギスギス社会”になり下がってしまったのか。こういう問いかけをすると、だいたい社会学やジャーナリズムの方面からは、「世の中が悪い」という答えが返ってくる。要するに、競争社会、格差の広がり云々で、不幸な人が増えており、彼らは他者のあらを探し、噛みつくことでウサ晴らしするしかないという解釈だ。さらにその時々の政局によって、トランプ政権に象徴される排外主義やら、安倍政権の経済政策やらにその原因を求めるのが“お約束”である。

 だが、筆者から言わせていただくと、そういう小難しい理屈は後付けに過ぎず、ほとんどのケースは「ギスギスの悪循環」によって起きている印象だ。つまり、ある“ギスギス”した出来事が世間の注目を集めると、それを巡って、考えの異なる人々同士の間で、激しい罵り合いや嫌がらせが発生するということが繰り返されているのだ。なぜそんなことが断言できるのかというと、筆者自身がこの「悪循環」を引き起こして、実際にギスギスした世論を煽ってしまったことがあるからだ。

 発端は「551蓬莱の豚まん」である。ご存知の方も多いと思うが、関西圏内では誰もが知る人気店の名物・豚まんのことで、JR新大阪駅構内にも売場が複数あるため、出張族や観光客がいつも長蛇の列をなしている。筆者もファンで、若い時から大阪でひと仕事終えると、新幹線に乗車する前には必ず缶ビールとこの豚まんを買い求めていた。そんなある日、いつものように座席で豚まんをほおばっていたところ、隣の方が「チッ」と舌打ちをして、あからさまに不快そうな顔をしていることに気づいた。その場では何事もなかったが、どうにも気になったので、ネットを見てみると、一部の方たちが、この豚まんを新幹線で食べる行為を「匂いで気分が悪くなった」「非常識」と厳しく批判し、「細かいことに目くじらを立てすぎだ」という容認派の方たちと「論争」となっていることがわかったのである。

 正直、バカバカしいと思った。確かに、豚まんの匂いは強めだが、食べてしまえばそれで終わりだ。車内で売られる駅弁やビール、おつまみからだって様々な匂いが漂ってくるではないか。

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